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東京五輪マラソン折り返し点 50年経て再び熱気を待つ

2016/7/7

味の素スタジアムに隣接するマラソン折り返し地点碑

交通量の多さで有名な国道20号。東京都調布市に「1964TOKYOマラソン折返し地点」と刻まれた石碑が立つ。現在はサッカーJ1のFC東京の本拠地「味の素スタジアム」に隣接する。当時、沿道は15万人もの応援の人並みで埋め尽くされたが、現在は石碑が歩道脇で静かに当時の熱気で沸いた場所を記す。この地は2020年にサッカーなどの競技が開催される予定で、武蔵野は新たな応援ムーブメントに包まれることになりそうだ。

■沿道では市の人口の1.5倍の15万人が応援

大会翌年の65年に建立。平和の象徴のハトをイメージした高さ1.5メートルの御影石は植木に囲まれてひっそりとたたずんでいる。国道20号には大きな道路標識が車道にかぶさるように設置され、その場所をドライバーに教えてくれる。

最初に折り返し地点を通過したのは前回ローマ大会を制したアベベ選手。そのまま独走して神宮の国立競技場に戻り、2時間12分11秒の当時の世界最高記録でテープを切って初の五輪マラソン連覇を達成。5位で折り返し地点を通過した円谷幸吉選手は見事銅メダルに輝いた。

1964年の東京五輪でマラソン折り返し地点を走る外国人選手(調布市提供)

今は運動施設に囲まれた折り返し地点周辺を走る市民も多く、碑はランナーの目安にもなっているという。

戦後間もない当時は、まだ辺り一面が畑。市の住民の1.5倍にあたる15万8200人の観客が押し寄せ、拡幅整備された7キロメートルにわたる市内の沿道で声援を送った。周辺の企業の事務所や学校、官公庁ではトイレを臨時開放。周辺500メートルの住宅の飼い犬約880匹はすべて家にひもでつなぐよう指示が出され、逃走の危険がないよう万全の体制がとられた。

当時の「市報ちょうふ」などによると、朝8時ごろから観客が詰めかけ、午後1時ごろにはほとんど人が入る余地がない状態に。沿道に横付けしたトラックを即席の観客席にする人も出た。周囲の小中学校では児童・生徒にレースを見せようと、教員が授業を中断して沿道にやってきたという。

■女性ボランティア1000人で道路清掃実施

「外国から来た選手も走るのに、クギ1本でも落ちていたら大変」。調布市の鴨下尚子さん(86)ら調布市赤十字奉仕団の女性ボランティア約1000人が大会の1カ月ほど前に清掃活動に乗り出した。ほうきとちりとりを持って出かけると、沿道は草ぼうぼう。草の中から古びた自転車やリヤカー、冷蔵庫などが大量に出てきたという。「市のトラックで引き取ってもらったが、あまりの量に驚いた」

国道20号に設置された前回東京大会のマラソン折り返し地点を知らせる道路標識。折り返し点の碑は右側歩道横に設置されている(東京都調布市)

国立競技場からの距離で導き出された偶然のポイントは交通量も少なく、産業廃棄物が投棄されて荒れ放題になっていたようだ。高度経済成長の負の部分ともいえるごみ問題は深刻で、当時全国でトップクラスの人口増加率だった調布市は毎月のように市報でごみの適正処理を呼びかけていた。緑豊かな武蔵野の田園風景と一見矛盾するような風景は、戦後をひきずった当時の日本そのものを描き出していたともいえる。

■調布が新たに迎えるオリパラの応援機運

2020年の東京大会では、調布飛行場跡地に建設された味の素スタジアムは近代五種やサッカーの会場となる。隣接地で整備中の「武蔵野の森総合スポーツ施設」ではバドミントンや車いすバスケットが行われる。マラソンコースは別の場所に設定される見通しで、再び世界のランナーが同じ場所を走ることはなさそうだ。調布市は今年から当時の思い出を市民から募集し、改めて市民の応援熱を高めようとしている。

清掃にいそしんだ鴨下さんは結局、本番は「すごい人出で行っても見られないね」と応援には行かなかった。息子を連れて行ってくれたおじが興奮して帰ってきたのを覚えている。五輪の前年に結成された奉仕団で今なお委員長として活動を続ける鴨下さん。「あの時からボランティア精神が築かれた」と思っている。

(オリパラ編集長 和佐徹哉)

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