ニホンvsニッポン? 力強さで「ニッポン」派増加

2016/6/17

東京ふしぎ探検隊

理化学研究所が発見した新元素の名称案、「ニホニウム」。一時はニッポニウムが有力ともいわれ、元素名としてニホンとニッポンが話題になった。「日本」はニホンかニッポンか。「東京ふしぎ探検隊」では以前、「日本」の読み方を巡る歴史をまとめたことがある。あれから4年。状況は変化したのだろうか。再び調べてみた。

「ニッポン」が増えている

閣議決定した「ニッポン一億総活躍プラン」

ニホン、ニッポンと聞いて記憶に新しいのが「ニッポン一億総活躍プラン」。6月2日に閣議決定された、安倍晋三首相肝煎りのプランだ。英文では「The Japan’s Plan for Dynamic Engagement of All Citizens」といい、ずいぶん印象が違う。ニッポンはJapanだ。

テレビ番組ではこのところ「ニッポン」が目立つ。4月からは「ニッポンのぞき見太郎(フジテレビ系)」や「世界!ニッポン行きたい人応援団(テレビ東京系)」がスタート。「所さんのニッポンの出番(TBS系)」や「世界が驚いたニッポン!スゴ~イデスネ!!視察団(テレビ朝日系)」など各局で「ニッポン」が花盛りだ。

カタカナ表記ではなく、「日本」の読み方としてはどうか。「東京ふしぎ探検隊」では以前、「日本はニホンかニッポンか 大昔は『ニポン』だった?」(2012年1月1日公開)「ニホンVSニッポン 『日本』の読み方、どっちが優勢?」(12年1月4日公開)で、日本の読み方がどうなっているかをまとめた。

12年時点では、社名に「日本」が付く上場企業220社のうち61%がニホン、39%がニッポンだった。「日経会社情報2016年夏号」で再度調べると、ニホンが60%、ニッポンが40%と、1%ほどだがニッポン派比率が高まっていた。

もっとも、「日本」が付く上場企業は、社名変更や上場廃止のためこの4年で20社ほど少なくなった。「ニホン」の方が減り方が大きかったというわけだ。

日銀はニッポン銀行 NHKが読み方統一

NHKでも変化があった。昨年12月に開いた放送用語委員会で、「日本」をどう読むかについて、一部変更があったのだ。

読み方が変わったのは日本銀行。これまでは「『ニホン』を第1とし、『ニッポン』を第2とする」としていたが、この項目を削除。ニッポンに統一した。

なぜ変えたのか。NHKに尋ねたところ、「日銀がニッポンと名乗っていることに合わせた」との答えが返ってきた。

4年前の取材で日銀は、「ニホン」でも間違いではないが、紙幣の表記に合わせて「ニッポン」としている、と答えていた。NHKはこうした日銀の方針を受けて、ニッポンに統一したという。

ところで日銀の読み方については30年前に興味深い記事があった。改めて紹介しよう。

日銀はお札に「NIPPON」と印刷するようになった経緯を調べた。最初に登場したのは1885年(明治18年)で、当時の通貨当局には大蔵大臣の松方正義、初代日銀総裁の吉原重俊など薩摩(鹿児島)出身者が多かった。薩摩出身者は当時、力強い「ニッポン」の発音を好んで使っており、その意向が反映されたのではないか――。日銀はこう推理したという(1984年2月21日付、日本経済新聞)。

日本銀行は「ニッポン銀行」と読む(東京都中央区)

真偽のほどは定かではないが、明治時代、西日本では「ニッポン」、東日本では「ニホン」と読む傾向があった、との説もある。

ニポン→ニフォン→ニホン? 読み方に歴史あり

ニホンとニッポン。そもそもどちらが先なのか。諸説あるが、日本語の発音に詳しい大東文化大学文学部の山口謡司准教授は「ニポン」に近い発音だったのではないか、と推測する。

「nitponだったのが、室町時代にnifonになり、江戸時代にはnihonとなった、と考えられます。ただし室町期のニフォンの発音はfではなく、歯を唇に合わせずに発音するフォだったようです」

室町時代に来日した宣教師の本には「Nippon」と「Nifon」の表記があるといい、かなり早い段階から2つの読みが共存していたようだ。

東京の日本橋は「にほんばし」と読む。大阪では「にっぽんばし」だ
東日本銀行は「にっぽん」と読む(東京都渋谷区)

2009年に閣議決定、「統一は不要」

併用の歴史が長いニホンとニッポンだが、昭和に入ってから終戦に至るまで、ニッポンへの統一機運が盛り上がる。1934年にはNHKが方針を決定、「正式な国号として使う場合はニッポン、そのほかの場合はニホンと言ってもよい」とした。同年には文部省臨時国語調査会が「ニッポンとすべし」と決議。ただし政府として正式決定するまでには至らなかった。

当時の雰囲気がうかがえる文書がある。内閣情報局が編集した「週報」に、こんな投書が載った。

「力強き日本、正しき日本は『ニッポン』であり『ニホン』はその語調において既に力が弱い。習慣の惰性でつい『ニホン』と口すべるのだと思はれるが、今日の日本においては是非『ニッポン』と正しく力強く呼称することを望む」(1943年1月20日発行)

その後も政治の場では何度か議論が浮上した。65年には郵便切手にローマ字で国名を入れることになり、当時の郵政省が出した「NIPPON」案を閣議で了承した。その際、佐藤栄作首相が国の名前についても早急に決めるよう指示を出したが結論が出ず、70年7月の閣議で佐藤首相が「自分は意識的にニッポンを使っている」と発言したのにとどまった。

ニホンかニッポンか、揺れる読み方を象徴するエピソードがある。89年、現天皇陛下の即位式で、陛下が「ニホンコク憲法」、当時の竹下登首相が「ニッポンコク憲法」と読み上げたという(新聞用語懇話会放送分科会編「放送で気になる言葉 改訂新版」)。

結局、政治的に決着をみたのは2009年、麻生太郎内閣の時だった。民主党(当時)の岩國哲人衆院議員の質問主意書に答える形で、以下のような答弁書が閣議決定された。

「『ニッポン』『ニホン』という読み方についてはいずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」。政府として公式には初めて「どちらでもいい」と決めたのだった。

ニッポン隆盛に憂慮の声も

ニホンとニッポン。国名の読み方が正式に決まっていない国は世界でも珍しい。日本人の寛容さ、多様性の表れといえるのかもしれない。

だが、言葉に敏感な人からは、「ニッポン」が目立つ現状を憂慮する声も聞こえてくる。

詩人の谷川俊太郎さんは昨年、TBSのテレビ番組「情熱大陸」で、「日本と私」という詩を披露した。自身で朗読した「日本」はほとんどが「ニホン」だったが、1カ所だけ違っていた。

「国会議事堂あたりに漂う日本は 好きになれない」

詩人はこの一節だけ、「ニッポン」と詠んだ。

ニホンとニッポン。日々何気なく発している言葉には、世の中の空気が投影されている。

(生活情報部 河尻定)