クドカン脚本「ゆとりですがなにか」 生き方リアルに
核心突きすぎるセリフも
宮藤官九郎が『ぼくの魔法使い』(2003年)以来、13年ぶりに日テレ系の連ドラで脚本をがける『ゆとりですがなにか』。02年の教育改正により、学習時間の削減などを最初に受けた「ゆとり第一世代」の青年を主人公に、30歳目前になった彼らが自分なりの生き方を探す姿をコミカルに描いている。
監督は、宮藤とドラマ『ぼくの魔法使い』、映画『舞妓Haaaan!!!』(07年)、同『謝罪の神様』(13年)などでタッグを組んでいる水田伸生氏だ。3年ぶりとなった2人の手合わせについて、枝見洋子プロデューサーはこう話す。
「ドラマをやりたいねという話をずっと2人でしていたそうで、"ゆとり世代"は宮藤さんからの提案。宮藤さんは若い世代と接する際、『自分、ゆとりなんで』という発言を聞くことが結構あったらしく、その開き直りというか、自虐的な言葉が気にかかっていたそうです」
主人公の正和を演じるのは岡田将生。食品会社に入社するも、結果を出せず様々な部署を転々とし、系列の居酒屋に出向中の身だ。正和が知り合う同い年の山路を松坂桃李、まりぶを柳楽優弥が演じる。
実年齢が25~27歳の彼らは、リアルな"ゆとり世代"でもあるが、現場で見せる姿は、世間でいわれるこの世代の特徴とは違うようだ。
「3人で食事に行った時、『台本読み合わせてみる?』という流れになったそうです。以前、映画『桐島、部活やめるってよ』を撮影していた時、高校生役の若い役者さんたちがおしゃべりしている状態からそのまま本読みを始めることがよくあったんですが、20代後半で数多くの現場を踏んでいる岡田さんたちが、同じように作品にとても真っすぐ向き合っているのが、すごく印象に残りました」(枝見氏、以下同)
"自主性がない"、"常に指示待ち"が代名詞の世代だが、岡田たちの誠実な姿勢は「すがすがしく、見ていて刺激を受ける」そうだ。
刺激的なのは宮藤・水田コンビの仕事ぶりも同様だという。
「基本、劇中はギャグだらけ(笑)。でもその中に、宮藤さんの鋭さを感じるセリフがあり、水田監督が笑えるものに昇華させている。相手を責めず、かといって理想論を伝えるわけではない、ごまかしのなさにドキリとさせられ、コメディーっぽいやりとりで体が温まると、ホロッとする展開が待っている。そんなコメディーからヒューマンという感情の揺れが心地良く感じられると思います」
劇中では、「だからゆとり世代は……」といったセリフがよく出てくるものの、この世代を否定する物語ではないという。
「正和たち3人は空気が読めず、自分の置かれた環境になじめてない人たちです。だからといって、『ゆとりだからバカにされないよう、格好つけなくちゃ』とはならない。その不器用さが、いとおしく見える瞬間がある。正和は後輩にパワハラで訴えられ、山路は30歳間近で童貞。ずっと東大を目指しているまりぶも子どもがいて、しかも妻は外国人……と、全員一筋縄ではいかない状況なんですが、そんな中での全力感に、ちょっと感じてもらえるものがあるはず」
正和たちが、もがきながら見つける幸せの形とはいかに?
(「日経エンタテインメント!」6月号の記事を再構成。敬称略、文・田中あおい)
〔日経MJ2016年6月10日付〕
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。