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大変だった英語や授業も、3カ月ぐらいで慣れた。すると、授業や学生生活が楽しく感じられるようになり、授業以外にもさまざまな発見があった。

ハーバードはいわゆるゼネラル・マネジメントの学校といわれています。特定の分野を専攻するのではなく、いろいろな科目をバランスよく学ぶのが特長です。それも、私がハーバードを選んだ理由の1つでした。

手にしているネームプレートは実際ハーバードの授業で使っていたものだ

手にしているネームプレートは実際ハーバードの授業で使っていたものだ

例えば、私はそれまでマーケティングというものを全然やったことがありませんでしたので、マーケティングの授業はとても面白く感じました。幸運だったのは、競争戦略論で世界的に有名なマイケル・ポーター教授が、私が1年生のときに1クラスだけ教えていて、それが偶然にも私たちのクラスだったのです。彼から直接、30ケースを教えてもらいました。非常に学びが多く、楽しくて、とりわけ力が入った授業でした。

ネットワーク作りにも力を入れました。家族連れの留学だったこともあり、ホームパーティーをよく開きました。とくに、クラスメートを呼んでの手巻き寿司パーティーは、定期的にやっていましたね。米国人や英国人などはみんな寿司を上手に巻けない。それで巻き方を教えてあげたり、逆にこちらが上手に巻いて見せると、わーっと歓声が上がったりして、盛り上がりました。仲良くなると、今度は相手のパーティーに呼んでもらったりして、だんだん友達の輪が広がっていきました。

そうするうちに気づいたのですが、米国人ってよく遊ぶんですね。勉強もよくするけど、遊びもすごくする。とても勉強になりました。例えば、オフタイムをどうやってうまく作るかとか、勉強の間にもどうやってリラックスするかとか。そういうところは、すごいなと思いました。

授業でもこんなことがありました。オートバイ市場のケースを取り上げた時のことです。ハーレーのような大きなバイクに乗っている人と、ママチャリのような小さなバイクに乗っている人が、バイクに乗ることについてどう考えているかを、それぞれにインタビューすることによって探っていくという趣旨のプレゼンテーションがありました。インタビューを始めましょう、と教授が言い、急にドドドドドという変な音がするなと思ったら、いきなり本物のオートバイが大型と小型で2台教室に入ってきたのです。授業を盛り上げ、リアリティを出すためのアイデアだったのですが、びっくりしました。

ハーバードではいろいろなことを学びました。ただ、振り返って何を一番学んだか考えると、それは、いろいろなことを学び続ける姿勢だったと思います。知識はすぐに陳腐化します。どんなにファイナンスの理論を学んでも、10年後、20年後に使えるかといえば、そうとは限らない。でも、学ぶ姿勢、問題に対するアプローチの方法は陳腐化しません。新しい物をどんどん吸収し、どんどんチャレンジし、知らないことを知りたいと思ってどんどん学んでいくという姿勢を、ビジネススクールで学んだのだと思います。実際、日本に戻ってから、新しいものを学ぶための筋力がすごく上がっていることに気づきました。

意思決定する習慣も身に付きました。ケーススタディの授業では、学生が「このデータがそろっていないから、総合的な判断ができない」などと発言すると、教授がすかさず、「ではデータがたくさんあれば判断できるのか」などと問いただすことがよくありました。いわゆる不完全情報下の意思決定です。こうした授業を続けると、自分の頭で考えて意思決定する習慣が身に付くわけです。会社でも同じなんですね。CEOが「100%理解するまで決断できない」と言ったら、会社は動きません。常に不完全な情報しかない中で意思決定して物事を前に動かしていかないと、だめなんです。この考え方や習慣は、現在の仕事にも非常に役立っています。

三菱商事に戻ってからは、M&Aのアドバイザー、会長の業務秘書、インベスター・リレーションズ(IR)のチームリーダー、ファンドの立ち上げと、さまざまな経験を積んだ。

M&Aのアドバイザリー業務は、私が留学中に立ち上がった新しいビジネスでした。社内からさまざまな人材を集めてスタートしたのですが、新規事業なのである程度自分のやり方でできましたし、ハーバードの経験も生かせました。例えば、お客様の経営戦略を聞き、その戦略にこのM&Aはどう役に立つのかというような話をし、こういったアプローチで相手に近づき、こういうふうにしましょうといったアドバイスをするんです。ポーター教授の授業で学んだことがすぐに役に立ちました。

キャリアの転機となったのは、ファンドの立ち上げでしょうか。当時、米投資ファンドのリップルウッドが日本進出を予定していました。三菱商事はすでにリップルウッドに投資していたこともあり、日本での受け皿会社を作ることになったのです。それで実際に誰がやるかということになり、私が手を上げました。1999年、リップルウッド・ジャパンを立ち上げ、エグゼクティブ・ディレクターに就任しました。

リップルウッドに転籍してから、転職話がたくさん舞い込むようになりました。その中の1つにUBS証券がありました。たまたまUBS証券の投資銀行本部長が知り合いで、彼から、投資銀行も面白いので一緒にやりませんかと声を掛けてもらったのです。幹部と面接し、会社も人も面白いと感じたので、転職を決意しました。結局、リップルウッドにいたのは2年弱でした。

UBSでは、マネージング・ディレクターとして主に運輸セクターと民営化を担当しました。いわゆる小泉民営化で、国鉄清算事業本部が保有していたJRの株式が、海外の投資家に売りに出されることになっていました。UBSの私のチームは日系の証券会社と組んで、JR東海とJR西日本の株式の売り出しを担当しました。また、Jパワー(電源開発)の完全民営化と東証上場も民営化の歴史に残る大型案件でした。

2006年6月、GEの金融部門であるGEキャピタルに転職。その後、日本のトップに上り詰めた。

UBSにいた時、ヘッドハンターから「GEキャピタルがアジアのM&A部門のヘッドを探している」という通知を受けました。誰か知らないかという話だと思ったら、私自身がヘッドハントの対象でした。アジアを舞台にGEで仕事ができることは非常に面白いと思い、転職を決めましたが、これは正しい選択でした。GEには海外でMBAを取得したような意欲ある人材を積極的に登用するカルチャーがあり、活躍の場がたくさんあるからです。

GEキャピタルの日本の責任者となってからも、ハーバードで学んだことはずっと生きていると思います。例えば、新しいことを集中的に学ぶ力とか、決断する能力とか、そういった社長として仕事をする上で不可欠のものが、今も自分の中を流れている気がします。ネットワークも健在です。

GEは人材育成にも非常に力を入れていますが、そこでも私のハーバードでの経験が役立てられていると思います。例えば、リーダー養成のためのトレーニングの場で、私は、自分のキャリアやハーバードでの経験を話しています。

私自身を振り返れば、これまで順調なキャリアのようにも見えるかもしれませんが、局面局面では大変な苦労もしてきました。

例えば、三菱商事でIRを担当していた時には、アジア通貨危機が起きて株価が暴落。とても投資家に株の購入を勧められるような状況ではありませんでした。UBSに移った時にはITバブルが崩壊し、やはり大きな逆風が吹きました。そしてGEキャピタルに来てからはリーマンショックです。米国のGE本体も、自社の株価が暴落して大変な思いをしました。そういった危機的状況を何度も潜り抜けられてきてよかったなと思いますが、それができたのもハーバードで学んだことをしっかりと実践してきたからではないかと思っています。

最後にご紹介したいのが、「Keep learning」という言葉です。私の姿勢を示すもので、GEのトレーニングでも参加者に贈っている言葉です。これからも、常に好奇心を持ち、情報のアンテナを高くして、あらゆることを学び続けて行きたいと思っています。

インタビュー/構成 猪瀬 聖(フリージャーナリスト)

[日経Bizアカデミー2014年1月27日付]

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