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「TVスター経営者」があっさり引退できた理由 ジャパネットたかた前社長、高田明氏に聞く(上)

2016/6/6

 

「TVスター経営者」はなぜ引退できたのか。「若い者には任せておけない」と70、80代まで実力会長、実力社長として振る舞う経営者が少なくないなか、通販大手のジャパネットたかた社長だった高田明氏は2015年1月、社長の座をあっさりと長男で副社長の高田旭人氏に譲り、経営から退いた。経営者としてのみならず、テレビ通販番組での会社の顔としても絶大な知名度を誇った明氏。その引退が会社の最大のリスクと言われながら、なぜ潔く息子に譲れたのか。事業継承の極意を語ってもらった。

 ミッション、理念があって会社は存続できます。その結果として利益がついてくる。何のため、誰のために存在するか。ジャパネットにとり、それは人の幸せに貢献するためであり、テレビショッピングを通じて社会に貢献していくことです。私がジャパネットの前身の会社を1986年に設立してから今年で30年を迎えました。妻と二人三脚で始めた長崎の小さなカメラ店が、ラジオからテレビへと業容を広げ日本全国に知られる存在になりました。人の支えで今のジャパネットがある。企業は存続してこそ社会に貢献できます。100年続く会社にするという使命感がだんだん強くなってきたのです。

 それは事業継承の問題と裏表の関係でもありました。創業者にとり、事業をほかの人間に委ねるということ、つまり事業継承は必ず乗り超えていかなければならない問題です。私は現在67歳ですが、60歳を過ぎたころからそういう人材を作らなければならないと真剣に思うようになりました。私は商品を通じてこれがどういった幸せをもたらすかを皆さんに語り続けたのですが、やっぱり最後には会社が続いていかなければ意味がない。私の存在なぞ、ちっぽけなものです。元気なうちにその責任を全うできる人を見つけて後を継がせたい。それこそジャパネットという企業が100年続く会社になる必要条件だと思ったのです。

テレビショッピング出演の最終日、長男の高田旭人氏(左)と握手する高田明氏=2016年1月15日

 明氏が白羽の矢を立てたのは長男の旭人だった。東大卒業後、野村証券、海外留学を経て03年にジャパネットに入社。父の明氏のようにテレビには出演せず、コールセンター、物流、人事など、コーポレート部門を歩んだ。社長指名の直前までは「東京オフィス」の総責任者として、12年に本格進出した東京での事業拡大、顧客網拡大に取り組んだ。

 息子の旭人がジャパネットに入社した翌年に51万人分の顧客情報流出が発覚した情報漏洩事件が起こりました。それから11年間、彼と一緒にやってきて仕事上でぶつかることもありましたが、まず福岡に7年間いて、コールセンターの仕組みを「ここまでやるか」と私が思うほど立派に作り上げました。春日井(愛知県)の物流センターでも責任者を経験し、物流のインフラ構築にも携わりました。毎日100~200人の社員が送ってくるメールに一つ一つ目を通し返信しています。いつ読んでいるのだろうと不思議に思うほどです。一人ひとりの社員と向き合うマメな性格です。そういう仕事の仕方を見ていても、よくできるし、経営者として優 秀だと思います。コールセンターのトップにいた時は「経営を勉強する」と言って、2年で中小企業診断士の資格を取りました。やり出したら徹底してやるところがあります。

 何でも自分で引っ張らなければ気が済まない私と違い、旭人は皆で考えながら進む調整型だと思っていました。テレビ番組にも出ず、裏方として私を支える仕事をしていた彼は経営者としては私と真逆のタイプだと思っていましたが、実は私と非常に似ている部分もあると最近思い始めています。決断が私の2倍くらい早く、人材育成・社内教育を充実させました。私が妻と育んできたジャパネットの理念を共有する力があると思いました。そこで私は会社を彼に託す決心をしたのです。

 それは決して息子だからという理由ではありません。どの会社にも企業理念はありますが、ジャパネットには「クレド」と名付けた理念があります。社員の数も増えてきて、社員のあるべき姿を指し示し社員の質を高めるために制定しました。社員が迷った時、常に立ち返る原点がクレドです。旭人はクレドを本気で理解していた。この人なら任せられると思ったわけです。息子であっても理念を継承していくという覚悟のない人に託すわけにはいかなかった。

 13年、明氏は思い切った行動に出る。ちょうどテレビ不況が家電量販や通販会社を直撃し、ジャパネットも売り上げが急降下していた。明氏は年初のあいさつで「過去最高益を達成できなければ社長を辞める」と宣言し、社内に緊張を与えた。

テレビショッピング出演の最終日、記者会見に臨んだ高田明氏=2016年1月15日

 旭人を後継者にすると腹を固めた13年のことを話しましょう。私はその年の初めに「覚悟の年」という標語を掲げ、過去最高益(10年12月期の経常利益136億円)を超えなければ社長を退くと社内外に宣言しました。当時、エコポイントと完全地デジ化が終了し、家電業界では液晶テレビ市場が一気に縮小していました。10年に1759億円あった売上高は12年12月期には1170億円と600億円も減っていた。経常利益は10年の136億円から、73億円まで減っていました。しかし600億円の減収が危機だとは思っていませんでした。売上高が1000億円を超える規模の大きい会社になって、社員自らが考え行動する会社にならなければ100年続く企業にはなれない。そのために社員のチャレン ジ精神を鼓舞し、目標(最高益更新)に向かう姿を社員に求めたいと思ったのです。私が数字で経営目標を示したのは初めてのことでした。

 私は経営者としては社内で絶対的な存在で、自分のやり方に100%、自信を持ってやってきた。社員は私についてきてくれる。だけど、何かが足りない。社員の士気を高めて社員が自分で道を作り出すことも必要ではないかと思ったわけです。社員にコミットメント(約束)を求める以上、私もコミットメントを出さなければならない。私は自分の進退をかけたのです。

 東京に新たに作ったオフィスとスタジオを旭人に任せ、私は社内に競争原理を持ち込みました。旭人のいる東京と、私がいる本社(長崎県佐世保市)で番組制作や売り上げで競わせました。その過程で調整型の旭人のやり方に不満を覚えたこともありました。しかし、1日限定で1商品を戦略的に販売する「チャレンジデー」という企画を東京が出してきたり、取扱商品の見直しで元々取り扱っていた白物家電に注力したりするなど、私の指示を待つのではなく、東京のスタッフや旭人が 自分たちで考え出したアイデアで数字を作り見事目標を達成したのです。

高田明(たかた・あきら)
1971年大阪経済大経卒。機械メーカーを経て、74年実家が経営するカメラ店に入社。86年にジャパネットたかたの前身の「たかた」を設立し社長。99年現社名に変更。長崎県出身。67歳

(シニア・エディター 木ノ内敏久)

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