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前回東京大会から時代の変遷映す「五輪橋」

2016/5/29

「五輪橋」が1964年にできたことを知る人は少ない

2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会に向けて注目を浴びる東京湾岸エリア。選手村などオリパラ関連施設や高層タワーマンション建設など話題に事欠かないが、1964年の東京大会では都心内陸部にある代々木公園周辺がムーブメントの中心だった。当時の記憶をひっそりと残す「五輪橋」を訪ねた。

■当初は何の変哲もないシンプルな橋として建設

橋はJR原宿駅(渋谷区)の表参道口を出た右側に山手線をまたぐ格好で架けられている。明治神宮の入り口に直接つながる「神宮橋」のすぐ南に並ぶ格好で建設されている。このため、神宮橋の一部と思う人もいるかもしれない。

親柱の上には青い地球儀が乗り、欄干の壁には64年の五輪で日本が活躍した陸上、柔道、体操の3競技のレリーフが並ぶ。スポーツの祭典を象徴する名の通りベタなデザインだが、東京都建設局によると、この姿になったのは五輪開催から30年近くが経過した93年3月。それまでは欄干もシンプルで、これという特徴のない橋だった。

■華やかなホコ天などとの「調和」狙い地球儀で「化粧」

「著名橋」に選定される前は装飾のない簡素なたたずまいだった(1990年3月、東京都提供)

 もともとは国立競技場や選手村があったエリアと代々木競技場、東京体育館などのエリアを結ぶ道路整備の一環として、開会式間近の64年8月に造られた。表参道を含む都道413号は五輪橋を通過して代々木公園を通り、井ノ頭通りにつながっている。

当時の橋のデザインは似たような規格が多く、高度経済成長期の当時はインフラ建設が優先され、日本橋の頭上をふさぐ首都高速に代表されるように景観への配慮を欠き「親柱や欄干などに凝ることはあまりなかった」(同局)。しかし、構造が特殊なものや、有名な橋を整備する著名橋整備事業が88年4月に始まり、名前にふさわしい化粧直しをすることになった。

著名橋の整備検討委員会の報告書によると、五輪橋の整備課題は神宮橋との調和に加え、代々木公園や原宿などの玄関口としての整備。橋上から渋谷方面や国立代々木競技場への眺望の確保とある。

この整備事業が始まるまでの11年間、橋の周辺は日曜日に車道が歩行者に開放される通称「ホコ天(歩行者天国)」が有名だった。ラジカセで音楽を流しながら派手な衣装で踊る「竹の子族」や、アマチュアロックバンドのライブを楽しむ「バンドブーム」など華やかな時代を象徴する若者文化の中心地としてにぎわった。

■次期東京大会で新しい「五輪橋」の計画なし

橋には陸上、体操、柔道の3競技をデザインしたレリーフが配置されている

 そんな流行の先端を担う街、原宿の発展や五輪の歴史との調和を進めた「新五輪橋」だが、誰のデザインなのか、どのような意図が込められているのかなど詳しい資料は保管期間が過ぎており残っていない。あの一世を風靡した原宿のホコ天も98年には廃止された。

道行く人もこの橋が特別だと気づく様子はなく、立ち止まってレリーフを見る人の姿も見受けられない。橋は風景の一部として、ただひっそりとそこにあるだけだ。

インフラの整った現在の東京には新たな「五輪橋」を建設する計画はない。高度経済成長期に生まれ、バブル経済やその崩壊を見守った五輪橋。その歴史は、希望に満ちた1964年大会から、成熟社会として迎える2020年大会までの時の流れを象徴するモニュメントなのかもしれない。

(ライター 片岡友理)

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