マタハラNet代表・小酒部さやかさんが今回お伺いしたのは、業務用厨房機器の販売会社、ホシザキ東北(仙台市)で管理部・総務課・係長代理を務め、特定社会保険労務士でもある高橋真弓さんです。子育てサポート企業として全国で初めて「プラチナくるみん」の認定を受けた、同社の取り組みについて聞きました。
男性が8割の職場で、全国初の「プラチナくるみん」として認定
―― ホシザキ東北さんは、日本全国で初めて「プラチナくるみん」として認定された企業です。取得のきっかけや、取得に至るまでの社員の働き方の変化、そして会社の業績はどうなったかをお伺いしたいと思います。その前に、会社の業務を簡単に教えていただけますか。
ホシザキ東北は、製氷機で世界トップシェアを誇る業務用総合厨房機器メーカーである、ホシザキ電機の東北地区販売会社として1974年に設立した会社です。東北6県に33営業所があり、現在社員数は約500人。飲食業界では「ペンギンマーク」で知られ、厨房機器類の販売を通して東北の食文化を支えている会社でもあります。
仕事内容は、業務用の製氷機、冷凍冷蔵庫や食器洗浄機といった厨房機器を提案・販売する営業職と、商品が機械ですから、故障した際の修理・メンテナンス、定期点検をする技術サービス職、事務職の3つの職種があります。
男性社員が8割の販売会社ではありますが、2015年4月、厚生労働省より全国で初めて「仕事と子育てを両立しやすい職場づくりに積極的に取り組んでいる企業」として、プラチナくるみんの認定を受けました。
10年前は帰れないし休めない、キツイ職場だった
―― そんなホシザキ東北さんですが、10年ほど前は今とは真逆の会社だったとお伺いしました。当時はどのような働き方だったのでしょう。
恥ずかしながら当時の弊社は、売り上げ至上主義でした。帰りが遅い、休めない、退職者が多い……、そんな会社だったんです。現場の社員も売り上げをつくれないと事務所に戻りづらい雰囲気があったのだと思います。
10年前の有給取得率は16%。売り上げや退職者数にも課題を感じていました。当時は400人ほど社員がいましたが、そのうち70数人が辞めていくこともありました。そうなると入社と退社の手続きだけでも大変ですし、採用コストもかかり本当に悪循環でした。
また、女性も、夜遅くまで仕事をすることが多く、結婚や出産を機に辞める女性社員がほとんどでした。私自身も先輩達を見て、「ああ、自分も結婚したら辞めるんだろうな。この職場では仕事は続けられないだろうな」と思っていました。
「私が先例を作らなければ」と奮起
―― 現在もそのような働き方をしている会社も少なくありません。会社の変革には、そのときの高橋さん自身の体験が大きかったのですね。
10年前まで、私が勤務する本社では育児休業を取得する女性がいませんでした。当時から私は総務課に勤務していて、職場環境の改善を進めるべき総務課の自分が先例を作っていかなければ後輩達が続かない、会社が変わらないと思ったのです。
そんなころ、結婚・妊娠し、育児休業取得を考えました。上司や同じ部署の仲間はとても理解がありましたので、自然な流れで取得となりました。
ちょうど時を同じくして「次世代育成支援対策推進法」が設定されたこと、また管理部の責任者だった上司に小さいお子さんがいて育児に理解があったこともあり、育児休業取得を勧めていただきました。世の中の流れと会社のあり方をマッチさせ、企業風土を変えようという思いが、会社側にもあったのかもしれません。
当時は勤務スペースでの喫煙が普通でしたが、妊娠が分かったときに禁煙にしていただくような配慮もありました。
そうして私は無事1人目を出産。子どもが1歳になるまで育児休業を取得し、育児時短勤務で復帰しました。
会社を休むことで迷惑を掛けているという気持ちもありましたが、こういった配慮もありましたので、復帰して頑張ろうという気持ちになれたのです。
■明確な数値目標を掲げた取り組みを開始
―― きっと高橋さんがいることで理解が高まった一面があるのでしょう。あるいは、声を掛けやすい雰囲気をつくることができた。これはなかなかできないことですね。後輩が続くようにとの思いがあったということですが、復帰後に取り組まれたことを教えてください。
育児休業から復帰したとき、次世代育成法の施行により誕生した「くるみんマーク」の存在を知ったのです。労務管理に明確な目標を持っていなかった弊社は、くるみんマークの取得を目標に掲げ、育児休業と有給取得の推進、時間外労働の削減、など明確な数値目標を掲げて取り組みを始めました。
くるみんマークを取得するには、「有給取得率○%」「男性の育児休業者1名以上」「女性の育児休業取得率○%」といったように具体的に数値目標を設定し、行動計画を出さないといけません。
こうした行動計画に沿って取り組んでいけば会社も変わっていけるだろうと考えました。そこから具体的な行動を考え、会社の方針に盛り込んでもらうよう働きかけをしていくうち、計画に沿って取得率が上がり、男性が休みやすくなるなど会社が変わっていきました。
ホシザキグループでは毎年「社員満足度調査」を実施しているのですが、以前はグループ内で最下位に近い順位でした。
マーク取得のための取り組みを続けて現在約9年になりますが、売り上げは毎年右肩上がりになり、ここ4年間、社員満足度調査ではグループ内でもトップクラスを維持しています。
有給休暇取得率が75.5%、男性の育児休暇取得率は33%へ
―― 頂いた資料を拝見すると、取り組み以後、明らかに会社の業績が伸び、社員満足度も上がっていますね。これは本当にすごいです。改革に当たって特に気を付けたことはありますか。
まず、力を入れたのは、有給休暇取得の推進でした。年間の目標取得率を掲げたうえで、毎月個人・部署ごとに有休取得率を算出し、自分達の取得率を意識してもらっています。また、バースデー休暇やメモリアル休暇を推奨しており毎月推奨メッセージを配信しています。
10年前は10%台だった有休取得率も徐々に増え、2015年は75.5%へ。3年連続で70%を超えています。
また、育児休業推進では、女性だけでなく男性の取得者が多いのも弊社の特徴です。
販売会社で男性の多い会社ではありますが、昨年は配偶者が出産した男性社員のうち33%の社員が2週間以上の育児休業を取っています。もちろん女性は100%取得しています。
男性の育休取得を「当たり前なこと」に変えた2つの工夫
くるみんマークを目標に取り組みを進める中、どうしても男性の育児休業取得率向上が課題となり、始めたのが「育児休業奨励金制度」と「育児休業リポートの配信」でした。育児休業を取得した社員は全員このリポートを作成しています。
育休中に子育てに参加している姿を収めた「写真付きのリポート」に、上司がコメントを添えます。普段知り得ない社員のプライベートが垣間見え、社内では大変好評です。
こうしたことを続けてきた結果、妻の妊娠が分かると自然と上司や同僚から「育休はいつ取得されるんですか」といった声掛けが起こる雰囲気になりました。また総務課からも電話で声掛けをしています。
職場で、総務課から、育児休業を勧める声掛けがある、また他部署の社員の育児休業レポートを見る、男性の育児休業取得が「特別なこと」から「当たり前なこと」に変わってきました。
育休を取得した男性社員は、会社への感謝の気持ちやモチベーションが本当に上がります。「しっかり休んでしっかり働く」という生産性の高い働き方へ変わってきました。
―― こういった取り組みがあれば会社のことが好きになりますね。売り上げにも好影響でしょう。誰しも元気で自信のある人から商品を買いたいと思うでしょうから。
そう信じています。有休や育児休業を取る社員が増え、早帰りも促進していますので、10年前に比べ、一人ひとりの実稼働時間は確実に減っています。しかしそんな中でも、売り上げは景気の追い風にも乗り、この5年間で1.5倍に伸びています。ワークライフバランスが実現でき、仕事に積極的に取り組む人が増えたほか、退社が減り、同じ社員が営業を続けることで顧客の信頼を得るようになったと感じています。社員満足度も向上し、会社の業績も上がる。企業と社員がWIN-WINの関係になっていると言えます。

男性の育休取得を加速させたきっかけとは
―― 変化にはためらいや抵抗がありませんでしたか。特に中間管理職の方から休暇を取るのが難しいと声が上がったりするのではないかと思うのですが、いかがですか。
中間管理職は担当業務の責任がありますから、最初は抵抗があったと思います。そこで、管理職の育休推進に力を入れました。
管理職で初めて取得した宮城営業課の阿部は、営業職で「顧客相手の仕事では休みづらい」と、当初は育休を断っていましたが、社長から直接育休を勧める電話を受け、半ば強制的に取得することに。結果、阿部は9日間の育休を取りました。
すると、阿部自身も育児休業に対する意識が変わり、「実際に育休を取ってみると、そのときにしか見られない子どもの姿が見られ、妻の手助けもできたので、育休を取れたことに非常に感謝しているし、ぜひ同僚・部下にも取ってほしい」と言うようになりました。その後、阿部の管轄している宮城営業課では9人が育休を取得しました。この取り組みは本当に良かったなと思います。
―― くるみんマークやプラチナくるみんの取得まで、大変なこともあったと思うのですが、めげなかったのはどうしてですか。
取り組みを始めたころは、くるみんマークの認知度も低く、取得するメリットやその価値を社内外であまり理解してもらえませんでした。取り組みを続け、こうして良い結果を証明できたことをうれしく思います。弊社でも変われたのですから、どんな企業でも変われると信じています。休みを取って私生活を充実させながら働き続ける社員が、会社の発展に貢献しています。社員を信じて信念を貫くことが大切なのではないでしょうか。
―― 本当に素晴らしいです。勇気が湧きました。これからもみんなの幸せのために頑張ってください。
2005年3月、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン科を卒業し、アサツーディ・ケイへ入社。クリエイティブ職アートディレクターとして採用。その後、転職した会社で、契約社員として雑誌の編集業務に従事する中、マタニティーハラスメントの被害に遭う。2014年7月、マタハラNetを設立し、代表に就任。2015年、米誌『フォーリン・アフェアーズ』に掲載され、女性の地位向上などへの貢献をたたえる米国務省「世界の勇気ある女性賞」を日本人で初めて受賞。2016年1月に『マタハラ問題』(ちくま新書)を発売した。
[日経DUAL 2016年4月21日付記事を再構成]