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お金は共同幻想、みんながお金と思っているからお金である

第1回では、経済というのは、お金が世の中を回っていることだという話をしました。こんどは、そもそもお金って何だろうかということを考えてみます。

1万円札には「壱万円」と書いてあります。どこへ行っても1万円札を出せば、1万円の買い物ができます。でも、なぜ1万円として通用するのでしょうか。どうしてみんながそれをお金だと思っているのでしょうか?

それは、国がそれを1万円だと言っているから、その国をみんなが信頼しているから、それは1万円だということなんです。お金というのは、みんながお金と思っているからお金なんですね。これは論理的にはおかしいですよね。論理学で言うと「トートロジー(同語反復)」といって、全然説明になっていないことになります。

お金というのは共同幻想なんです。いま、世界でいちばん通用するのはアメリカのドルですが、それは世界中どこへ行ってもこれはアメリカのドルだな、いろいろなところで使えるなとみんなが思っていて、ドルで受け取ってもいいという人がたくさんいるからです。

たとえば、ソマリアのお札を持っていて使おうとしても、いまソマリアという国は崩壊してしまって暫定政権もほとんど機能していない。そんな国で発行しているお札は、国民すら信用していない。そうなれば、それはただの紙切れになってしまうわけです。

国家がきちんと成立していて、ただの紙切れを「これはお金ですよ」という保証をしてくれている。だから私たちはそれをお金だと思っているという、非常に不思議なものなわけです。

では、どのようにして、ただの紙切れをお金として意識し、使うようになったのか。その歴史を見てみましょう。

お札はどのようにして誕生したのか(1) 物々交換から市(いち)の成立
~大昔、稲や貝、塩などがお金として使われていた~

大昔、私たちは必要なものを物々交換をして手に入れていました。山で獣の肉を獲る人がいる。でも肉ばかり食べていたのでは飽きてしまうから、たまには魚も食べたいと思う。一方で、漁師はいつも魚ばかり食べている。たまには肉が食べたいなと思う。この人たちが物々交換をしていました。やがて、物々交換をする人たちが広場に集まるようになりました。みんなで集まれば、物々交換をする相手が見つけやすくなるわけです。こうして市(いち)が成立しました。

ところが、肉や魚は持ち歩いていると腐ってしまう。とりあえず交換するのに便利でみんなが欲しがるものに替えてしまおうということになりました。日本では中国大陸から稲の栽培技術が伝わり、稲作が始まりました。稲からお米ができますから、みんな稲を欲しがります。そこで、肉や魚を一定量の稲と替えて、その稲をほかのものと替えることができるようにしました。

稲というのは「ネ」と呼ばれていました。これが値段の「値」、「値打ち」の「値」になっていきました。稲が物々交換の仲立ちに使われていたということが、いまの日本語に残っているんですね。このほか貝や布、塩などが使われていたことが、世界の言葉にさまざまなかたちで残っています。

やがて、長く保管できるもの、そして量が増えすぎないよう、あまりたくさんとれないものとして、金、銀、銅が使われるようになります。いずれも加工しやすく、溶かしてすぐ貨幣にできるし、大きさや重さも変えられます。こうして、金貨、銀貨、銅貨がお金として使われるようになりました。ただ、銀や銅は古くなると黒くなったり錆びてきたりしてだんだん汚れてしまいます。でも、金というのは常にピカピカです。となると、やっぱり金が一番いいんだなということになります。

そのうち、経済が発達して商売が広範囲に行われるようになると、金属硬貨でも不便なことが起きるようになります。それは大量にものを売買する場合、貨幣で支払いをするには金貨を大量に持ち歩かなければいけないということです。江戸と大阪で取引をする場合は、運んでいる途中に奪われてしまうかもしれないという問題が起きます。このように、金貨をたくさん持ち歩かないで済むようにしたいと考える人が出てきます。そこで登場するのが「両替商」という人たちです。

お札はどのようにして誕生したのか(2) 銀行の誕生と金本位制度
~かつては保有する金の量に応じて、お札を発行していた~

両替商のしくみを説明します。まず、金(貨)を両替商に預けます。そうすると、両替商は「預り証」を出してくれます。もちろん両替商に預り賃(手数料)を払わなければなりませんが、蔵で金を安全に保管してくれます。そして誰でもその預り証を両替商へ持っていけば、いつでも金と替えてもらえます。売買をするときに、売り主は大量の金貨を受け取る代わりに預り証を受け取れば済みます。これで心配しながら大量の金貨を持ち歩く必要はなくなるわけです。

いけがみ・あきら ジャーナリスト。東京工業大学特命教授。1950年(昭25年)生まれ。73年にNHKに記者として入局。94年から11年間「週刊こどもニュース」担当。2005年に独立。主な著書に「池上彰のやさしい経済学」(日本経済新聞出版社)ほか多数。長野県出身。

いけがみ・あきら ジャーナリスト。東京工業大学特命教授。1950年(昭25年)生まれ。73年にNHKに記者として入局。94年から11年間「週刊こどもニュース」担当。2005年に独立。主な著書に「池上彰のやさしい経済学」(日本経済新聞出版社)ほか多数。長野県出身。

そしてまた、次に自分がだれかにお金を払うことになれば、わざわざ預り証を金貨に替えなくても、その預り証をそのまま支払いに使えばいいことになります。さらにその預り証をだれかがまた別の売買に使うというかたちで、預り証が次々に世の中で出回っていくようになります。これが紙幣の始まりです。

明治に入ると、江戸時代あちこちにあった両替商がやがていくつか集まって、銀行になっていきました。そしてそれぞれの銀行が持っている金の量に応じて、預り証つまり紙幣を発行していました。ところが、やがて悪質な銀行も出てきます。金があるように見せかけてお札を発行すれば、いくらでもお札が発行できるという悪いことを考えます。

これはいけない、やっぱり国全体での信用が必要だから、お札を発行できる銀行はひとつだけにしよう、ということでできたのが中央銀行です。日本は日本銀行、アメリカはFRB(連邦準備銀行)、中国は中国人民銀行。世界各国、それぞれの中央銀行がお札を発行しています。このように、金を基にしてお札が発行され、そのお札を持っていけばいつでも金と替えてもらえる制度のことを「金本位制度」と言います。

やがて経済が活発になると、たくさんのお札が必要になります。ところが金本位制度では、日本銀行の持っている金の量しかお札が発行できない、すなわち経済が発展しないということになってきます。経済が発展していくうえで、もう金の量に関係なくお札を発行できるようにしようということになり、やがてお札の発行は金から切り離されます。日本では1932年(昭和7年)に金本位制度ではなくなりました。その結果、お札を銀行へ持っていっても、金とは替えてもらえなくなりました。これがいまのお札です。

今回の記事の内容をもっと読みたい人は、書籍『池上彰のやさしい経済学 1しくみがわかる』で詳しく解説しています。ぜひ手に取ってご覧ください。書籍では、イラストや図解、用語解説が豊富に掲載されており、ひと目でわかる工夫が随所にされております。読むだけでなく、目で見て楽しく無理なく「経済」が学べる1冊です。

(イラスト:北村人)

次回は、近代経済学の父、アダム・スミスを取り上げます。

[日経Bizアカデミー2012年4月27日付]

池上彰のやさしい経済学 (1) しくみがわかる (日経ビジネス人文庫)

著者 : 池上 彰
出版 : 日本経済新聞出版社
価格 : 648円 (税込み)

池上彰のやさしい経済学 (2) ニュースがわかる (日経ビジネス人文庫)

著者 : 池上 彰
出版 : 日本経済新聞出版社
価格 : 648円 (税込み)

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