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かれんとスコープ

落とし物、デフレで急増? 安物だから…執着せず

2016/5/29

警視庁遺失物センターにはスーツケースやスケートボードなどの落とし物も届く(東京都文京区)
全国で落とし物が急増している。管理する警察は膨大な処理にてんてこ舞いだ。人口は減っているのになぜだろう。落とし物が映す現代日本の姿とは。

ひっそりと薄暗い地下倉庫に所狭しと置かれた傘やスーツケース、ベビーカー、鍋、金庫、さらにはドローン……。東京都文京区にある警視庁遺失物センターは落とし物でいっぱいだ。「もう保管場所は限界に近い。処理の手間も膨大」。同センターの須賀隆所長はため息をつく。

全国の警察に2014年に届けられた落とし物は約2500万点で過去最高を更新、10年前の2.5倍近くになった。落とし物は景気に連動されるとされ、バブル期の1990年ごろにも増加したが、2000年代に入ってからの伸びはとどまる様子がない。一方で「落とした」という遺失届はそれほど伸びていない。その背景を探ると3つの変化が見えてきた。

(1)落としやすい形

東京で最も多い落とし物は免許証などの「証明書類」で年間50万点にのぼる。「保険証や免許証のサイズが統一され財布にいろいろなカードを入れる人が増えた。財布を落とすと、それぞれ落とし物として数えるので点数が増える」と須賀所長は説明する。最近はマイナンバーカードも目立ってきた。スマートフォン(スマホ)もここ数年、増えているが、こちらは取りに来る人が多いそうだ。

(2)新たな届け手

「ショッピングモールができると落とし物が増える」。地方の警察ではこうした説が語られる。2000年代に全国に普及したアウトレットモールなどは滞在時間が長く、店内で衣類を脱いだりするため物を落としやすい。大型施設の運営業者は法令順守の意識が高く、警察にきちんと届け出るため、これまでどこかに消えていた落とし物が表面化しやすいというわけだ。落とし物のインターネット検索などを可能にした07年の改正遺失物法によるアナウンス効果もあるとされる。

ただ根本的な理由は最後の変化にあるようだ。

(3)物への気持ち

「ひと雨、3千本」。東京で雨が降るごとに届けられる傘の数だ。警視庁には年間43万点の傘が届くが遺失届はわずか1%にとどまる。傘より多いのが衣類で年間46万点が届く。手間暇をかけて取りに来る人はほとんどいないという。100円ショップやファストファッション……。安価な製品が定着したデフレ経済の負の側面が浮かび上がる。

「大切な物ほどなくしにくいことは実験でも明らか」。失敗に詳しい立教大学の芳賀繁教授(心理学)はこう話す。裏返せば物を大事にしなくなるほど落とし物は増える。さらに「スマホでゲームやメールをしていることも一因。情報処理の量が増え、不注意になっている」と指摘する。

対策は難しい。岡山県では県警や流通業者が集まり「落とし物未然防止検討会」を2014年に立ち上げた。啓発ポスターや動画の作成に励むが決め手はない。「県民の財産が減らないようにと始めた運動にあまりお金を使うのもどうか……」と県警の担当者は対策の拡充に悩む。

期待されるのは落としても簡単に探せる仕組みだ。情報サイト「落し物ドットコム」を運営するMAMORIO(東京・千代田)は昨年、落とし物を追跡できる電子タグを発売した。京浜急行電鉄は今春「お忘れものセンター」を開設。同センター長の臼井正之さんは「取りに来るときは電車代を不要にするなど、手元に戻りやすいよう努めている」と話す。京急グループは独自開発した遺失物管理システムを他の鉄道会社にも売り出した。

各地の警察は「落とし物が減ることはないだろう」とあきらめ顔だ。なくしたのは物なのか、物を大事にする心なのか。大量の落とし物を前に考えた。

◇   ◇

■拾われた現金、全国で164億円 7割が持ち主に戻る

警察に届いた落とし物は3カ月間保管され、それ以降は拾った人のものになる。拾い主が所有権を放棄した場合などは処分・売却される。物に比べ現金の方は、探す人が多い。2014年に「拾った」と届けられた現金は全国で164億円。うち7割程度は持ち主に戻っている。

ツイッター上でも「財布を無くして、今交番に紛失届けに行ったら、落とし物で届いてたー!なにその奇跡ー!」「お財布新宿まで取りに行ったー。中身が全部入ってたのは奇跡。拾ってくれた方に感謝」などのつぶやきがある。諦めずに警察に行ってみよう。つぶやきの調査はNTTコムオンラインの協力を得た。

◇   ◇

■関連インタビュー■芳賀繁・立教大学教授

芳賀繁(はが・しげる) 京大卒。鉄道総合技術研究所主任研究員などを経て、立教大学現代心理学部教授。ヒューマンエラーや交通事故・労働災害の防止などを心理学の観点から研究する。

――なぜ落とし物や忘れ物をしてしまうのでしょうか。

「落とし物や忘れ物は人間の『展望的記憶』の失敗です。展望的記憶というのは、覚えた行動予定をいったん意識の下にしまい込んで、予定の時間になったら自発的に思い出すことです。例えば電車で荷物を網棚に上げますよね。それをずっと意識していることはできないので、意識の下にしまい込んで、途中居眠りをしたり読書をしたりします。それを電車を降りる時に思い出すことです。学校のテストのように『大化の改新は何年?』など誰かが聞いてくれるわけではないので、自分で思い出さなくてはいけない。これがなかなか難しい。だから落とし物や忘れ物をしてしまうのです」

――特に最近増加しているのはなぜだと思いますか。

「いろいろなことを並行してやっているのが一因だと思います。注意に関する脳のスペースをいつも使っている。電車に乗っているときにSNSに書き込んだり、スマホゲームをしたり、仕事のメールをチェックしたりして注意を使い切ってしまっている。むしろ注意を使い切らないと落ち着かないという人もいるでしょう。そうすると意識の下にある情報を引き出す余裕がなくなり、失敗、つまり落とし物や忘れ物がおきやすくなります。人間の脳の仕組みは変わっていないのに、情報処理の量は10年前より格段に増えました。脳の負荷が高まっていることは間違いありません」

――物がなくなってもいいや、と思う風潮も落とし物や忘れ物に影響しますか。

「そうですね。展望的記憶の働きと重要度に関係があることは、いろいろな実験で明らかになっています。いろんな人がいるので、まれには位牌(いはい)なんかを忘れてしまうなんてこともありますが、基本的には大事に思っている物ほど忘れにくいし、なくしにくい。逆になくなってもいい物、ビニール傘などは忘れやすい筆頭といえるでしょう」

――年齢は関係しますか。

「あまりありません。単語テストのようにまとめて覚えて思い出すというような記憶は年齢差が出やすいですが、展望的記憶は年齢の影響は受けにくいといわれています。だから高齢者のほうがよく落とし物をするわけではありません」

――どうしたら落とし物や忘れ物を防げますか。

「名案はありません。私もしょっちゅう忘れ物をしていますから。思い出すことを自発的に思い出すのは難しいことなのです。対策としては、思い出す手掛かりを上手に用意するしかありません。携帯電話のアラームなど思い出すタイミングをしらせてくれるものを使ったり、次のステップに進めない状況をつくったりすることです。例えばカバンを膝の上に置いておけばカバンを持たないと立ち上がれませんよね。スマホはレストランでは必ず伝票の上に置くとか。そういうことです」

――現代人の不注意が落とし物にとどまればいいですが、大きな事故につながると怖いですね。

「鉄道など歴史ある産業ではヒューマンエラーが大事故につながらないような仕組みが構築されています。一方で、ITシステムはどんどん新しい物がでてきて、1人のエンジニアやプログラマーのミスが深刻なシステムトラブルや損害を引き起こすことも増えてきています。これは1人1人の注意力をどう高めるかということでは防ぎきれません。お金と時間をかけた組織的な対応が必要になります」

(福山絵里子)

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