変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック

IT(情報技術)時代の女性経営者の草分け、石黒不二代・ネットイヤーグループ社長兼CEO(55)は、女性MBAホルダーとしても先駆的存在だ。しかも取得に際しては、離職、子連れ海外留学という二重、三重のハンディ付き。だが、その一見して大胆な決断の裏には、将来のキャリアを見据えた冷静な判断があった。

経済活動を通じて世の中に影響を与えられるような存在になりたい。そんな抱負を抱いて地元の名古屋大学経済学部に進学した。ところが、いざ就職となると、四大卒の女子に対する大企業の門戸はほぼ完全に閉ざされていた。男女雇用機会均等法が施行される6年前。女性がキャリアを描こうにも、描けない時代だった。

卒業したのは1980年でしたが、当時、女子学生に対する求人はまったくありませんでした。ですから大学の就職課にも一度も足を運んでいませんし、就職活動もしていません。公務員になる手もありましたが、公務員には向いていないと思っていたので、それもなし。一緒に勉強した男子学生は、成績が良くても悪くても、みんな希望の会社に就職していきました。一方で女子学生は、どんなに成績が優秀でも女性だからという理由で門前払い。とても悔しい思いをしましたね。

結局、卒業後数カ月は、リクルートで雑誌編集のアルバイトをしていました。そのうち、名古屋が本社のブラザー工業が、翌年から四大卒の女性を、中途も含めて正社員採用するらしいという話を聞き、採用面接を受けることにしました。

ブラザーではプリンターの海外営業を担当しました。ブラザーというとミシンのイメージが強いのですが、実は、コンピューターの周辺機器など情報機器がメインの会社です。当時も情報機器が売上高の5割、利益の8割を稼ぎ、しかも売上高の9割は海外市場。当然、海外駐在経験者が非常に多く、私の上司も10年ぐらい海外で働いた経験のある人がほとんどでした。そんな会社ですから、とても開けたマインドの人が多く、女性の私に対しても、男性社員と分け隔てなく仕事を任せてくれ、高い評価もしてもらいました。もちろん、中には色眼鏡で私を見る人もいて、嫌な思いをしたこともありましたが、それ以上にいいことがたくさんありました。

職場には慣れ親しんでいたものの、新たな挑戦意欲もわいてきて、転職を決意。そこで偶然、MBAと"出会う"。

ブラザーでの達成感もあり、そろそろ転機かなと思いました。ところが、転職活動を始めてみると、またもや開かずの扉にぶちあたりました。当時は「30歳の壁」というのがあって、30歳を過ぎた女性はなかなか新しい仕事が見つからない。当時、私もちょうど30歳前後でした。

そうした折、私をかわいがってくれたブラザーの専務が心配して、再就職の相談に乗ってくれました。その専務に、真剣な相談ということではなく、「M&Aみたいなことにトライしてみたいです」と話してみたんです。ちょうどM&Aが流行り始めたころで、私もなんとなくM&Aをやってみたいという程度の気持ちでした。専務は、唐突にM&Aと言われて困惑気味でしたが、知り合いの米系投資銀行の人に連絡を取ってくれました。

それで投資銀行の採用面接に臨んだのですが、決まるまでに何度も違う人と面接をさせられました。しかも正式採用ではなく、試用採用でした。入社後、他の社員の履歴書を見て驚いたのですが、なんと社員全員がMBAホルダーだったのです。上司に尋ねると、「うちは基本的にMBAホルダーしかとらないから。君は例外。だから入れるのに苦労したんだよ」と言われました。何度も面接されたのには、そうした理由があったのです。

仕事の内容は周りの人と同じでしたが、待遇にMBAホルダーとの差があり、自分では納得がいかなかった。そこで、密かに就職活動をしていたオーストリア系のクリスタルの製造販売会社に、投資銀行の試用期間終了と同時に転職しました。

その会社は私を大変高く評価してくれました。マネージャー職のほとんどが40過ぎの男性という中で、30前後の女性をマネージャーとして採用してくれたのです。仕事は日本でのブランド、ファッション事業の立ち上げでした。

仕事はそれなりに充実していました。でも、個人的にファッションにあまり関心がないので、残念ながら、その仕事に、興味が増すことはありませんでした。今も、ジュエリー類は、あまり身に着けていません。また、流通業界には古い商習慣があって、何かひとつやるにも非常に時間がかかったり、何度も何度も頭を下げなくてはいけなかったり。対照的にIT系は、意思決定や実行のスピードも速く、いい物を作れば売れるという世界です。やはり私はIT系に戻りたいという気持ちが強くなってきました。

私生活でも転機がおとずれ、子供を授かりました。外資系なので、成果さえ出せば、ある程度の時間の自由度がありますが、それでも保育所の迎えに間に合わない。日本でこのままキャリアを続けながら子育てをするのは無理だと思いました。そこでMBA留学が頭に浮かんだのです。MBAは、投資銀行で働いて以来、ずっと頭の片隅にありました。MBAを取得すれば、違う業界への転職も可能だし、子育てとキャリアを両立しやすいだろうと思ったのです。

インタビュー/構成 猪瀬 聖(フリージャーナリスト)

[日経Bizアカデミー2013年11月18日付]

新着記事

Follow Us
日経転職版日経ビジネススクールOFFICE PASSexcedo日経TEST

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック