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米ビジネススクールへの留学をきっかけに金融の世界に進んだ、コモンズ投信の渋沢健会長(55)のキャリアストーリー。物語の後半は、外資系金融機関を経て独立、そしてソーシャルビジネスの育成事業へと話が進む。その過程で、渋沢栄一との"出会い"も明らかに。

ビジネススクール卒業と同時にファースト・ボストン証券(現クレディ・スイス)に就職。その後、外資系金融機関を渡り歩いた。

米系投資銀行はビジネススクールの学生の間で非常に人気がありましたが、彼らも日本で商圏を拡大しようと血眼になっていたので、日本人の私にとっては比較的広き門でした。結局、東京配属ながらニューヨークの本社採用をオファーしてくれたファースト・ボストン証券に入社。日本企業相手に外債を売る仕事を担当しました。

ところが入社後間もない1987年10月、米国でブラックマンデーが起き、市場環境が激変。それを機に、サマーインターンでお世話になったJPモルガン銀行の東京支店に転職しました。「伝説的トレーダー」の藤巻健史さんが直属の上司でした。1994年には、今度はゴールドマン・サックス証券に移り、2年後には、ヘッジファンドの米ムーア・キャピタル・マネジメントに転職しました。

日本のバブル経済が崩壊して以降は、日本の金融機関がどんどん海外に進出していたそれまでとは打って変わり、逆に米系ヘッジファンドなどの存在感が日本市場でも強まってきました。彼らから見ると日本の金融市場は謎だらけ。時価総額が大きい、流動性が高い割には、まるで新興国のように値動きが激しい。変な規制があるので、彼らのロジック通りに相場が動かない。日本の市場の特徴を一つ一つ丁寧に彼らに説明することも、私の仕事でした。その意味では、ビジネスを通じて日米の懸け橋になるという私の当初の目標は、達成できたのではないかと思います。

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