マニラの街の現実描く B・メンドーサの生々しさ
カンヌ映画祭リポート2016(7)
フィクションであれ、ドキュメンタリーであれ、映画には現実が映る。その現実がどれだけ生々しいかは、ジャンルとは関係ない。フィリピンの俊英ブリランテ・メンドーサの映画を1度見た者は、その生々しい現実感に驚くだろう。素人俳優を多数起用し、現実の場所で撮るメンドーサの映画では、街も人もまぎれもなく現実のものとしてそこにある。18日のコンペで上映された新作「マ・ローサ」も例外ではなかった。
土砂降りのマニラの夜。ローサと子供たちはスーパーで買いこんだ大量の菓子をもって家に帰る。貧しい人々が住む街には、小さな店が軒を連ね、人波が絶えない。雑踏の騒音と雨音が響き、屋台で売る焼き鳥や焼き魚の匂いまでするような気がする。
ローサの家は駄菓子屋だが、ひそかに麻薬も売っている。仕入れた白い粉を袋に小分けし、符丁が合った客に、たばこや菓子にまぎらせて売る。
常連客に売ってまもなく、警察が店に踏み込んでくる。警官はローサの首を絞め、ピストルを押しつける。夫のネストールを組み伏せ、手錠をかける。白い粉と客のリストを押収する。両親が連行され、子供たちが追いかける。車の外に店々の灯が流れる。
警察はローサとネストールに、家に帰りたければ保釈金20万ペソを出せと言い、金がないなら情報を出せと迫る。ローサに売人に電話させ、街の交差点に呼び出す。ローサを車で現場まで連れて行き、車の中から首実検をさせる。呼びかける警官、逃げる男、追う警官、銃声。
捕まった売人が警官の目を盗んで元締めに逮捕を伝える。警官たちがぼこぼこに殴る。もう情報源としては役に立たなくなった。保釈金を払わない限り、ローサたちも帰さない。ローサは警察署に集まった子供たちに知人や親戚から金を借りてくるように命じる。
子供たちがまず訪ねたレストランのオーナーは居留守を使って、会ってくれない。姉は叔母に無心する。弟は男に体を売る。兄はテレビを故買商に持ち込む。それでも足りない……。
ごちゃごちゃした街の狭い路地を、誰かが逃げる。警官や悪党が追い、手持ちカメラが突進する。ブレようが、ボケようが、お構いなし。街のざわめきも、靴音の響きも、きぬずれも、すべてが生々しい。
疲れ切ったローサが路上でふっと何かを見つめる。カメラは家族で切り回す屋台の光景をじっととらえ続ける。ひそやかな、力強いメッセージがそこにある。
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ジャン=ピエール・ダルデンヌとリュック・ダルデンヌのダルデンヌ兄弟の新作「身元不明の少女」も18日のコンペに登場した。カンヌの常連で、すでにパルムドールを2回受賞している名匠だが、彼らの作品にもいつも生々しい現実感が息づいている。生まれ育ったベルギーのリエージュの街で、素人俳優を多数起用して撮る。それでいて世界の現実に通じる普遍性をもっている。
ジェニーは大きな病院に着任したばかりの優秀な女性医師。真面目で責任感の強いジェニーは自分の患者をまめに往診している。歓迎会の最中でも携帯電話が鳴ればすぐに駆けつける。腰の重いインターンには患者との対話が大事であることを説く。
ある夜、仕事を終えてアパートに戻ったジェニーはベルの音が聞こえたのに、応答しなかった。翌朝、アパートにやってきた警官に、近くで身元不明の少女の死体が見つかったと知らされる。アパートの防犯カメラにジェニーの部屋のドアベルを鳴らす黒人の少女がうつっていたのだ。
知らない少女だが、あのときドアを開けていれば、とジェニーは強い自責の念に駆られる。遺体発見現場を見に行く。墓を探す。前任者や知り合いや近所の人々に少女の写真を見せて心当たりがないか尋ねていく。はじめは「知らない」という答えばかりだったが、少しずつ手がかりがつかめてくる。しかしそんなジェニーの行動を快く思わない人がでてくる……。
強い意志をもったヒロインが行動を起こすことで、地域社会の隠れた現実が浮かび上がる。ドラマの構造は前作「サンドラの週末」(2014年)と同じだ。事件の真相が浮かび上がっていく過程がサスペンスフルでもある。そして少女に起こった悲痛な出来事は地域社会の現実、ひいては深刻な移民問題を抱えた世界の現実を生々しく物語る。
世界の現実はこんなにも悲しく痛ましい。それでも全編を貫くジェニーの医師としての使命感と行動力が見る者の心を打つ。絶望の中の一筋の希望。ダルデンヌ兄弟の真骨頂がそこにある。
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ある視点部門では18日、オランダのマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督のアニメーション作品「レッドタートル/ある島の物語」が上映された。スタジオジブリが製作に加わり、高畑勲監督がアーティスティック・プロデューサーを務めた日・仏・ベルギー合作作品だ。
嵐の海で漂流する男が無人島に流れ着く。男は食料と衣料を自然の中で調達し、いかだで脱出を試みる。しかしそのたびに巨大なウミガメが現れて、いかだに体当たりして沈めてしまう。
そんな無人島にどこから来たのか女が現れ、男と結ばれる。子供が生まれ、成長する。巨大な津波の来襲を乗り越える。子供は自立し、男は老いを迎える……。
短編アニメ「岸辺のふたり」(00年)でわずか8分間の中に人間の一生を凝縮して描き出した監督が初めて手がけた長編である。人間の一生という同じモチーフを選んだのは「自分の深いところにあるものを染み出させることでしか長編映画は作れない」と考えたからだという。
その根底には監督の死生観がある。「死ぬのは怖いし、生きるのは人間の本能だ。しかし同時に、死は生の一部でもある。死を受け入れることは、生を受け入れることでもある」とデュドク・ドゥ・ヴィットは語る。
カメを選んだ理由を聞かれると「本能的に思い浮かんだ。海の生物として不思議な存在だ。平和的で、人間的で、不死のイメージをもつ生物だ」と答えた。「私は子供の頃から自然に囲まれて育ち、自然への愛情が根底にあり、それを精神的なよりどころと考えている」という。
自然の猛威と人間の営みのはかなさを描き出すが、そこにも監督の自然観がある。「自然と人間は対立するのでない、人間は自然の一部であり、自然に生かしてもらっていることを表現したかった」
手描きのシンプルな描線、余白の多い大胆な構図が、一種東洋的な死生観や自然観とあいまって、効果を上げている。これらは「岸辺のふたり」から一貫するもので、デュドク・ドゥ・ヴィットの作家性だろう。
ジブリの鈴木敏夫プロデューサーや高畑監督とは物語や美術など様々な点で意見交換したという。「私には長編の経験がなかったので高畑さんと鈴木さんの意見は貴重だった。意見交換を重ねたが、何かを強要されたことは一度もなかった。私の作家性を尊重してもらい、信頼関係に基づいて仕事ができた」と話していた。
(編集委員 古賀重樹)
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