ジャームッシュの詩心 「パターソン」の日常の魅力カンヌ映画祭リポート2016(5)

ジム・ジャームッシュ監督「パターソン」
ジム・ジャームッシュ監督「パターソン」

「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(1984年)で一躍脚光を浴びたニューヨークインディーズの雄、ジム・ジャームッシュ。はや63歳となったが、その風貌にたがわず、作品は若々しい。コンペ部門で16日に上映された新作「パターソン」は初期作品を思わせるシンプルな作品で、ジャームッシュのみずみずしい詩心に満ちていた。

舞台はニュージャージー州パターソン。主人公はこの街でバスの運転手をしているパターソン(アダム・ドライバー)。毎日市内の決まったルートを走っている。妻のローラと小さな家に住み、小さなブルドッグを飼い、行きつけのバーでビールを飲む。変わっていることといえば、詩が好きで、自分でもノートに詩を書いていることぐらい。そんなごくありきたりの男の1週間の出来事が淡々と語られる。

朝、ベッドで目覚めるパターソンとローラのショットで始まる。特別なことは何も起きない。撮られているのは何気ないものばかりだ。パターソンがたくさんもっているマッチ、バスの座席で会話する乗客、帰り道に話しかけてくる少女、ローラが作るカーテンやパイやカップケーキ、地元出身の詩人のアレン・ギンズバーグや俳優のルー・コステロの写真が貼られたバー……。週末はローラと一緒に古い映画を見にいく。

記者会見するジム・ジャームッシュ監督(中央)

唯一の事件といえば、パターソンが大事にしていた詩のノートがブルドッグに食べられてしまうこと。パターソンはがっかりし、ローラも悲しそうだが、どうしようもない。犬もおなかをすかせていたのだ。

終幕がすばらしい。パターソンの滝の前で、パターソンがベンチに座っていると、スーツを着た日本人がやってくる。永瀬正敏が演じるこの男とパターソンのやりとりがすてきだ。これ以上ここで書くのはヤボなのでやめておく。

ただ27年前にジャームッシュの「ミステリー・トレイン」に出演した永瀬が、よい感じの年のとり方をしていることに改めて感動した。成熟した部分と未成熟な部分が混じり合っているのがこの49歳の俳優の魅力であり、それがジャームッシュ作品の魅力に通底しているようにも思える。

エミリー・ディキンソンやフランク・オハラなどアメリカの詩人たちに様々な形でオマージュがささげられる。ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩「パターソン」は重要なモチーフになっている。記者会見でジャームッシュはニューヨークの大学時代によく詩を読んだと語った。

とはいえ衒学(げんがく)的な匂いはまったくない。何気ない日常の何気ない出来事だけがつらなる点は「ストレンジャー・ザン・パラダイス」のミニマリズムを思い起こさせる。そんな作品に強くひきつけられるのは、ひとつひとつの事物、ひとりひとりの人物、ひとつひとつの場所に、詩があるからではないか。物語性が希薄なジャームッシュ映画の根底にあるのは詩心だと思う。この作品も詩についての映画というより、この映画自体が詩なのだ。

犬がいい。「とてもよい即興詩人だった」とジャームッシュ。毎年選ばれる「パルムドッグ」賞はこの犬で決まりだろう。

詩を巡る映画といえば、もう一つ傑作があった。監督週間に出品されたアレハンドロ・ホドロフスキー監督「エンドレス・ポエトリー」。カルト映画「エル・トポ」(69年)、「ホーリー・マウンテン」(73年)の鬼才が自らの少年期を振り返った前作「リアリティのダンス」(2013年)の続編にあたる作品だ。舞台は40~50年代のチリの首都サンティアゴ。前作の舞台となった鉱山町トコビージャから家族と共に移ってくるところから始まり、パリに渡るために独りで去っていくまでを描く。

アレハンドロ・ホドロフスキー監督「エンドレス・ポエトリー」

青年になったアレハンドロは、抑圧的な父親の意志に反して、詩人になろうと決心する。いとこに連れられて前衛芸術家たちの仲間に入り、何物にも縛られない自由な生き方に目覚める。ピアノをたたき壊す音楽家やアクションペインティングの画家、後に名声を得る詩人もいた。

実体験に基づく話だが、描き方は独特の表現主義で貫かれている。華やかな通りの店々が黒子の手でモノクロの絵に覆われていく。子供のような背丈のヒトラーや足長のゲシュタポが周囲をにらみつける。ファシストによる圧政の時代なのだ。酒場のウエーターたちはお葬式のようなモーニング姿で、客はみな暗い表情でうつむいている。カギ十字を付けたファシストの群衆で埋まる街頭で、アレハンドロは独りピエロの格好をしている。

ラテンアメリカ文学のマジックリアリズムのように虚実が入り交じる世界。「リアリティのダンス」でも見られた手法だが、より徹底し、全編が演劇のようで、祝祭のようだ。アレハンドロは監督の末息子アダン・ホドロフスキーが演じる。父親役は前作に続き長男のブロンティス・ホドロフスキー。今年87歳になったホドロフスキー自身もしばしば登場して、状況を説明し、時に人物の背中を押す。ホドロフスキーは「この映画は“詩的な物語”ではなく“詩的な行為”そのものだ。映画を作る行為、それ自体がサイコマジック・ボム、つまり癒やしになるんだ」と語った。

16日のコンペではジェフ・ニコルズ監督「ラビング」も上映された。ニコルズは「テイク・シェルター」(11年)、「MUD/マッド」(12年)が高く評価された米国の新鋭。「ラビング」は異人種間結婚禁止法の撤廃の立役者となったラビング夫妻の実話に基づく物語だ。

ジェフ・ニコルズ監督「ラビング」

バージニアに住む白人の建設作業員リチャードと黒人女性のミルドレッドは1958年にワシントンDCで結婚し、バージニアで暮らし始めるが、異人種間結婚を認めない州法によって逮捕される。2人は州外へ退去させられるが、その後、人権派弁護士らの支援を得て州政府を訴える。67年、連邦最高裁はこの州法に違憲判決を下す。

映画はごく平凡な夫婦の生活が、夜中に突然踏み込んできた保安官によって暗転するさまをリアルに描き出す。その後も警察におびえ、嫌がらせにあいながら、戦い抜く2人。そのきずなの強さを丁寧に描き出す。何より平原の向こうから見知らぬ車が走ってくる恐怖感が生々しかった。

(編集委員 古賀重樹)

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