五輪競泳水着「50年の進化」 飽くなき抵抗との戦い北岡哲子 日本文理大学特任教授

日経テクノロジーオンライン

競泳日本選手権の女子200メートル個人メドレー決勝でスタートする選手(4月、東京辰巳国際水泳場)
競泳日本選手権の女子200メートル個人メドレー決勝でスタートする選手(4月、東京辰巳国際水泳場)

2016年8月5日に開幕するリオデジャネイロ五輪が、いよいよ間近に迫ってきた。五輪は“アスリートの祭典”であると同時に、スポーツ用品メーカーにとっても進化をアピールする4年に一度の晴れ舞台である。五輪の花形競技の一つである競泳用の水着がどのような変遷をたどって進化を遂げてきたのか。1964年の前・東京五輪以降の歴代五輪の女性用水着を例に「50年の技術進化」を見ていこう。

時代は一気に、1964年の東京五輪までさかのぼる。

図1 東京五輪(1964年)時の水着

1. 東京五輪(1964年)

絹ではなく、合成繊維のナイロン(ポリアミド)100%。トリコットという編み方の素材が使われていた。横には伸びるが縦には伸びずフィット性に欠けたので脱着しにくく、首回りを大きく開けたデザインになったという(図1)。

抵抗を最も受けやすい胸の部分に大きな日の丸のワッペンが縫い付けてあるなど、「抵抗の低減や動きやすさの確保」という現代の水着に求められる特性を満足させるには程遠いウエアだった。

図2 メキシコ五輪(1968年)時の水着

2. メキシコ五輪(1968年)

素材は、東京五輪の時と同じ。しかし、ウエスト部分で上下をつなぐだけの平面的なカッティングであった東京五輪時から進化し、女性の体の凹凸に沿った「プリンセスライン」が見られるようになり、フィット性が高まった(図2)。

3. ミュンヘン五輪(1972年)

図3 ミュンヘン五輪(1972年)時の水着

図3のように、桜の花のプリント柄が特徴的。日本を含め、各国による特徴の表現が流行になった。

素材自体に変化はなかったが、「バックセンター切替」(背中の中央に縫い目線を設ける)という工夫によって伸縮性が増加。動きやすさは向上した。

4. モントリオール五輪(1976年)

図4 モントリオール五輪(1976年)時の水着

2つの革命的進化があり、現在の競泳水着の原型となった(図4)。ポリウレタン(PU)弾性糸の開発(ナイロン80%、ポリウレタン20%)により、縦横2方向への伸縮が可能になった。

肩甲骨を避けた肩ひも形状(レーサーバックスタイル)になり、首回りの空きも小さく、腕の動きやすさも格段にアップした。

5. ロサンゼルス五輪(1984年)

図5 ロサンゼルス五輪(1984年)時の水着

水が背中に滞留しないよう開口部を設けて水の抵抗を減らし、運動性が向上した(図5)。

日の丸ワッペンが、JAPANのロゴプリントに替わり、ハイレグカット(ハイレグ)も登場した。

6. ソウル五輪(1988年)

図6 ソウル五輪(1988年)時の水着

東レとミズノが新素材「アクアピオン」を開発した(図6)。アクアピオンは、超極細のナイロン繊維(直径が従来の半分)とポリウレタン弾性糸を高密度に編成した素材。水着表面を平滑化し、凹凸が従来の2分の1になったことにより、素材表面の摩擦抵抗が約10%も低減した。フラットな縫製も低抵抗に貢献した。

さらに、水着開発の方法が、それまでとは全く異なるフェーズに入った。従来の着用評価は選手の感覚に頼るだけだったが、このときから流水抵抗を測定するなど、科学的アプローチを取り入れた本格的な低抵抗性実現の時代が始まった。

7. バルセロナ五輪(1992年)

図7 バルセロナ五輪(1992年)時の水着

見た目が大きく変わった(図7)。ハイレグのカットがより高くなったことで、脚部の運動性が増加。素材は、新開発の「アクアスペック」。ソウル五輪の「アクアピオン」の表面平滑性をさらに向上させた素材である。

新素材開発に当たって、当初は「アクアピオン」より細い繊維をより高密度に組み立てることを検討したが、水抜け性に問題があって強度も低下するため、ポリエステル(PE)に特殊加工を施すことになった。具体的には、「アクアピオン」に使用されたナイロンよりやや太いポリエステル繊維を使用し、ポリウレタンと交編した生地を熱プレスで圧縮加工した。

その結果、「アクアピオン」に比べて生地は薄くなり、表面の凹凸は約半分と小さくなり、水との摩擦抵抗は約5%減少した。

8. アトランタ五輪(1996年)

図8は、金メダリストの4分の3が着用したといわれる英Speedo(スピード)の水着。素材は「アクアブレード」。バルセロナ五輪の「アクアスペック」から、さらに低抵抗を追求した素材だ。

図8 アトランタ五輪(1996年)時の水着

平滑化に関しては「アクアスペック」で、ほぼ限界に達していた。しかし、表面がどんなに平滑であっても、水の粘性により抵抗が発生する。物体表面と水の間に、両者の相対速度に応じてせん断力が発生するためで、これが摩擦抵抗(粘性抵抗)となる。

物体表面から近い領域では、水の流れにせん断応力による速度勾配が生じることとなり,その領域部分が境界層と呼ばれる(図9)。境界層は水の流れ方による性状の違いで、「層流境界層状態」と「乱流境界層状態」に区分される。実際には、水着表面付近は乱流境界層状態になっている。乱流境界層では渦が派生するため、表面の極近傍での速度変化が急激な(せん断力が大きい)状態となり、摩擦抵抗が層流境界層状態よりもさらに大きくなる。

図9 平板表面の水の流れ。乱流境界層では渦が派生するため、表面の極近傍での速度変化が急激な(せん断力が大きい)状態となり、摩擦抵抗が大きくなる

子どものころなどに、下敷きに水をこぼして上にもう一枚下敷きを乗せたとき、ピタっとくっついてしまって取れなくなった経験をお持ちの読者もいるだろう。この状況では、水が下敷きに対して流れていないし、本来は表面張力も考慮しなければならないなど、泳者の体の表面を流れる水の粘性抵抗を説明するには必ずしも正しい例ではないが、水の粘性のイメージをつかんでいただきやすいと思う。

開発陣は、水着表面に接するところで発生しているこの乱流境界層を壊して表面の摩擦抵抗を低減させるには、同じ場所により大きなエネルギーを持った「縦渦(進行方向の軸周りを回転する渦)」を発生させればよいと考えた。この発想から生まれたのが平滑性の高い「アクアスペック」の表面に、ストライプ状にフッ素系撥水(はっすい)剤をプリント加工した「アクアブレード 」である(図10)。

図10 撥水剤をストライプ状にプリント。「縦渦」を発生させて通常の渦を抑制し、摩擦抵抗を減らす

撥水プリントを施した部分と施していない部分では、素材表面の水流速度が微妙に異なり、隣り合った速度の異なる流れが渦を発生させる。撥水プリントは流れに平行になるようストライプ状に施されているため,水流中では撥水プリントに沿って連続的に縦渦が発生する。

その結果、「アクアブレード」は「アクアスペック」に比べて約8%、一般競泳水着素材に比べて約23%と、水との摩擦抵抗を大きく低減できた。一言でいえば、アクアスペックにストライプ状の撥水加工を施し、縦渦を発生させ、摩擦抵抗を軽減した素材を開発し、金メダル獲得に貢献した。

そしてこの後、競泳水着は「ハイテク水着」の時代へと突入していく。

9. シドニー五輪(2000年)

図11 シドニー五輪(2000年)時の水着

北京五輪で金メダリストの94%が着用。“速すぎて”一時着用が禁止になったSpeedoの「レーザーレーサー(LR)」につながるハイテク水着時代が幕を開けた(図11)。米航空宇宙局(NASA)や、バイオメカニクス、サメの著名な研究者たちも加わり、高度な研究開発を通して水着の歴史に革命を起こしたといっても過言ではない。

Speedoの「ファーストスキン」は、シドニー五輪全選手中で男子61%、女子59%、メダル獲得者中で男子67%、女子66%が着用した。そして、12の世界新記録に絡んだという数字を見ても、その威力が分かる。

図12 “サメ肌”生地表面の拡大

素材は、サメの皮膚表面の形状をヒントにした「表面リブレット形状」を伴うもので、全身を覆うフルスーツという発想も斬新だった。この素材は深さ0.1×幅0.5mmで間隔1.0mmの溝と、図12のようなうろこ状の撥水プリント(アクアブレードの撥水面積を1.5倍にした)を生地表面に加工したもの。この溝内部に小さな縦渦が生じることにより、生地表面近傍に発生する乱流を打ち消す。さらに、うろこ状の撥水プリントがより大きな縦渦を発生させ、これが乱流をさらに抑えるように働く。

ところで、どうしてサメの肌を参考にしたのでか。それは、サメがイルカなどに比べて抵抗が少ない体形になっていないのに、獲物を捕るときなどはより速く泳げるからだ。その秘密は皮膚の構造にあるとも言われており、それが開発陣にとってのきっかけになったという。

サメの皮膚は小さな突起で覆われている。その一つひとつに小さなV字状の溝があって全体として細かい溝が形成され、速く泳ぐときに皮膚表面に発生する乱流を打ち消す働きをする。

そこで、水着生地に溝を付けようと試みるが、柔らかい水着に均一に溝を付けるのは極めて難しい。さらに、溝を設けると表面積が増えて抵抗増加につながりかねないため、単純に溝さえ付ければいいというものではない。人間が泳ぐときに抵抗を削減できる溝の実現を目指して試行錯誤を繰り返し、やっと前述した最適値が求められたという。

結果として、アクアブレードに比べて表面摩擦抵抗は約3%減少、撥水面積は50~75%になり、水を含みにくくすることで水中での軽量化も図った。

全身を覆って肌を露出させないフルスーツというデザインも斬新だったが、これも抵抗削減のための発想から生まれた。人間が泳ぐときに受ける全抵抗の70~90%は形状抵抗だといわれている。流体の中を進む物体の後ろ(下流側)には渦が発生し、その渦が大きければ大きいほど物体を後ろに引っ張り、抵抗は大きくなる。

特に、その物体の形状が凸凹していると、流れが物体からはがれることによって渦が生じやすくなる(図13)。逆に流線形にすると、渦の発生を抑えられて形状抵抗を削減できる。

図13  物体形状に角や凹凸がある場合(上)には、水の流れを正面から受けて物体が受ける正圧抵抗(A)、下流側にできる渦による負圧抵抗(B)、水の粘性によって生じる粘性抵抗または摩擦抵抗(C)が生じる。Bは、渦が発生した領域の圧力が低くなり、上流側との圧力差で物体を後ろに引っ張ることによるもの。AとBを合わせて抗力または形状抵抗と呼ぶ。物体を流線形にする(下)と渦は発生せず、(速度によっても変わるが)負圧抵抗も受けなくなる

すなわち、人間の体の凹凸をできるだけ抑えて流線型に近い形に補正するとともに、水流によって生じる筋肉の振動や変形を抑えて抵抗の低減を図るために、できるだけ体を覆うスタイルが誕生した。シドニー五輪より以前は、水着の面積を小さくすることで抵抗を削減しようとしていた時代があったが、まさに逆の発想である。

新幹線車両や船の形状など、広く工学的に応用されていた概念を水着に採用したことは、確かに大きな進化だった。3Dボディースキャナーを用いて選手の体型を正確に測定し、凸部より凹部が難しいフィット性も縫製でクリアし、運動機能性を低下させずに姿勢保持効果を持つ「ファーストスキン」がこうして誕生した。

10. アテネ五輪(2004年)

「ファーストスキン」をさらに進化させた「ファーストスキンFS2」が登場。そして北京五輪で注目の的になるLRへと進化していった。

11. 北京五輪(2008年)

世界記録を量産したLRが登場した(図14)。2008年に世界で同時発表された初代LRは、競泳用水着メーカーのSpeedoが、米航空宇宙局(NASA)やニュージーランドのオタゴ大学、米ANSYS、オーストラリア国立スポーツ研究所(AIS)、自社研究所であるアクアラボなど多くの企業や団体の協力を得て開発した。

図14 北京五輪当時の「レーザーレーサー」(英Speedo)。写真はGrant George Hackett選手(オーストラリア)(写真:ゴールドウイン)

選手が泳いでいる時、流速2.0m/秒において60~80Nの水の抵抗を受けている。水着によって抵抗削減を考えるには、表面の摩擦抵抗が小さい生地であることと同時に、「人間の形状抵抗を小さく保てる=姿勢を保持できる」水着が必要になる。その究極の水着がLRだった。

名前の由来にもなっているが、立体裁断された3枚のナイロン素材「LZR Pulse(レーザーパルス)」を超音波を使って接着した無縫製、つまり縫い目がない水着である。LZR Pulseは極細のナイロン繊維などで織った素材で、繊維間が緻密で軽量かつ撥水性が高く、繊維というよりは紙のような手触り。これに、水を透過せず伸縮性がほとんどない極薄のポリウレタン素材を張り付け、体を強く締めつけて断面積を小さく保持し、筋肉の凹凸を押さえた。さらに水中での筋肉の振動や皮膚の波打ちも押さえ、水の抵抗低減を徹底的に図った。

図15 ロンドン五輪当時の「ミズノGX水着」。写真はミズノスイムチームの寺川綾選手(当時)

12. ロンドン五輪(2012年)

ロンドン五輪の日本代表公式ウエアは、ミズノとデサント、アシックスの3社が提供した。この3社は日本水泳連盟から代表選手への水着供給メーカーとして以前から指定されていたが、北京五輪でこの3社の製品ではなくLRを着用する選手が続出した一件から、水泳の競技用ウエアはほぼ自由競争になり、各社の実力が問われるようになった。国内3社にとってロンドン五輪は雪辱戦の舞台となった。

ミズノは、適度な伸びのある布帛(ふはく、縦糸と横糸による織物)の水着素材を採用した。ニット生地(糸を曲げて形成した結び目によって生地としての構造を維持する)に比べて伸長させるのに大きな力を必要とする素材で、ウエスト周りを締め付けて骨盤を支持し、体幹を安定させてフラットな姿勢へと導くことを意図している(図15)。

水着の形状はハイカットとハーフスーツの背開き付き、同じく背開きなしの合計3種類を設けて、種目や好みによって選択可能とした。さらに、軽量化を図るとともに脱着を容易にして、30分以上を脱着に要した北京五輪時の水着の課題をクリアした。

[日経テクノロジーオンライン2016年1月26日の記事を再構成]

今こそ始める学び特集