日常こそがトレーニングマセソン美季さんのパラフレーズ

マセソン美季さん
マセソン美季さん

先月のドイツ出張の際、久しぶりに心の底から「凄い!」と思わせてくれるアスリートと食事をする機会に恵まれた。高性能の義肢装具メーカーとして有名なオットーボック社でパラリンピック・アンバサダーを務めるハインリッヒ・ポポフ選手。2012年ロンドン大会の片方の太もも切断クラス、100メートル12秒11という世界記録で金メダルを獲得した選手だ。

本当に膝がないのかと思うほど、美しく歩く人だというのが第一印象。彼のランニングクリニックでは、走る前に正しく歩くことを教えるというが、なるほど、こんなに美しく歩ければ走るフォームも美しいに違いない。無駄を省いて効率よく歩き、正しい筋肉を鍛える。「日常生活の延長線上に競技があり、日常生活もトレーニングだ」という言葉には重みがあった。

彼は目を輝かせながら、若い選手の発掘や育成に力を注いでいることを力説した。初めて競技用義足を使って走る体験をした子どもたちの笑顔、その保護者の表情がありありと目に浮かんでくる。自分の経験や知識、義足の調整技術を惜しみなく伝えようと、世界を股にかけた活動をしている。

10年バンクーバー大会で、時速100キロを超えるスピードで雪山を滑降する片足のスキーヤーを見て、「義足ユーザーがスポーツをするのは、果たして正しいことなのかどうか」と問いかけてきた記者を思い出した。危険度の高いスポーツに挑戦する無謀さが理解できない、と言っていた。ポポフ選手は「スポーツだけでなく、日常生活にも危険は付き物。危険を回避してばかりいたら、スポーツを通して得られる友情や達成感、自信は得られない」と言い切った。

食べきれなかった食事は「恵まれない人たちに寄付してくれ」と声をかけ、レストランを後にした。彼こそがパラリンピックの、いや、全ての人たちのロールモデルだろう。

ませそん・みき 1973年生まれ。大学1年時に交通事故で車いす生活に。98年長野パラリンピックのアイススレッジスピードレースで金メダル3個、銀メダル1個を獲得。カナダのアイススレッジホッケー選手と結婚し、カナダ在住。今年1月から日本財団パラリンピックサポートセンター勤務。

[日経朝刊2016年5月12日付]