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「自分がやってきたことに納得」 大舞台での集中力 射撃のパラリンピアン 田口亜希さん

2016/5/12

緊張をコントロールして自然体で大舞台に臨むためには何が必要か。田口亜希さん(45)は言う。「それまで自分がやってきたことに納得できていることです。練習でできないことが試合でできることはありません」

狙うのは直径0.5ミリの黒い点。60発のうち1発でも10点を逃せば、上位進出は望めない。過酷なプレッシャーが襲う。彼女はそんな極限の集中力を要求される競技を戦ってきた。

アテネ、北京、ロンドンの3大会連続でパラリンピックに出場した

射撃でアテネ、北京、ロンドンの3大会連続でパラリンピックに出場。連続で入賞を果たした後、メダルを狙ったロンドンは10メートルエアライフル伏射、50メートルライフル伏射ともに完敗した。

得意のエアライフルは決勝進出8人全員が満点の600点だった。自身も2度記録したことがあるが、仕事との両立で練習が不足していたという。「ロンドンは本当にきつかった。レベルが高くなったと実感した」と率直に振り返る。

リオデジャネイロで勝負するにはこのままでは駄目。そう思っていたころ、今度は別のミッションが。パラリンピアンとして2020年東京五輪・パラリンピックの招致活動に参加し、国際オリンピック委員会(IOC)委員へのプレゼンテーションでも活躍した。

豪華客船「飛鳥」の乗務員として活躍していた25歳の時、休暇中に突然体に激痛が走り、自分の足で歩けなくなった。脊髄の神経を冒され、現在の医学では一生車いすの生活になると告げられた。将来のことなど考えたくない気持ちの時、同じ病室で過ごした人に誘われてビームライフルを始めた。

競技で好成績が続き、エアライフルにも挑戦。2年後のアテネパラリンピック出場が目標になった時に気がついた。「1週間先のことを考えるのも怖かったのが、2年先のことを考えている」。それは6年先の北京にも、10年先のロンドンにも続いていた。「スポーツを通して、挑戦する気持ち、目標を持つことを取り戻すことができた」

今年4月、郵船クルーズから日本郵船本社に職場が移り、社会貢献推進チームに配属。社業に加えて、20年大会の成功を目指すアスリートの一員として、大会組織委員会や日本パラリンピック委員会の会議、勉強会、パラリンピアンとしての講演会などに奔走する。

アスリートとしての活動はとりあえず休止中。リオへの挑戦は断念した。東京で再び戦いの舞台に戻ることはあきらめてはいない。それ以上に大きな目標も今はある。

思い描く夢は「健常者も障害者も何の違いもなく共に働いていける社会の実現」。そのためにも20年五輪・パラリンピックを素晴らしい大会にしたいと願っている。

(編集委員 北川和徳)

たぐち・あき 1971年大阪府生まれ。郵船クルーズに勤務していた25歳の時に脊髄の血管の病気が原因で車いすの生活になる。リハビリ後にビームライフル競技を始め、ライフルに転向してアテネ、北京、ロンドンのパラリンピックに出場。東京大会の招致活動にも参加し、現在は大会組織委員会のアスリート委員などを務める。

日経からのお知らせ 日本経済新聞社は5月22日、働く女性のための総合イベント「WOMAN EXPO TOKYO 2016」の中で、パラリンピアンの田口亜希さん、スノーボード選手の竹内智香さんを迎えたトークセッション「女性アスリートに学ぶ、負けない心の整え方~オリンピアン・パラリンピアンが実践する集中のコツ~」を開催します。場所は東京ミッドタウン(東京・港)のカンファレンス会場。午後1時から。

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