ドル円相場と先輩ディーラーの金言(窪田真之)楽天証券経済研究所所長兼チーフ・ストラテジスト

「ドル円相場に適正水準はある。しかし、それはあくまで適正水準にすぎない。実際のレートはそこから大きく離れて動くため、投資家はついていくのが大変だ」

「適正水準? そんなの誰にもわからないよ。適正水準があったとしてもそれを大きく離れて動くのがフツーだから」。29年前に聞いたあの言葉を、私は今でも鮮明に覚えています。

29年前、私は日本株ファンドマネジャーになるための研修を受けていました。研修の一環で住友銀行(現三井住友銀行)ニューヨーク支店で先輩である為替ディーラーの話を聞いたのですが、そのときの私の質問、「ドル円レートの適正水準はいくらですか?」に対する答えがそれだったのです。

まだ運用経験のなかった私にそれはとても印象に残る言葉でした。当時26歳だった私は、激変する為替の世界で大きな利益をあげてきた大先輩と話をするのを楽しみにしていました。為替で稼いできた先輩だから、為替の適正水準について理路整然と説明してくれると期待して質問したのを覚えています。

そのとき聞いたもうひとつ忘れられない言葉があります。「頭のいいヤツはディーラーに向かないよ。自己否定できないから。きのうドル高になるって大見え切って、(流れが変わったのを見て)きょうがんがんドルを売っているようなヤツが生き残る」。その後私は日本株ファンドマネジャーとして実績を残すことができましたが、そのとき、相場に向き合うための基本を学んだと思っています。

為替を予測することは日本株を運用する上でとても重要です。昔も今もそうです。最近も円高になると日本株が売られ、円安になると買われる日々が続いています。今もし26歳の若者が私のところに来て、「ドル円レートの適正水準はいくらですか?」と聞かれたら、私は以下のように答えます。

「適正水準? それは確かにある。ただし、実際の為替レートは適正水準よりプラスマイナス20円以上離れて動くこともある。毎日のレートは日々の材料で動く。適正水準からどんどん離れていくことも、適正水準に近づいていくこともある」。私が適正水準を探る上で目安のひとつとしてきたのが購買力平価です。購買力平価は物価の動向を踏まえた為替レートの考え方で、2国のインフレ率の格差で計算された理論値です。

企業物価を基準にした購買力平価と実際のレートをグラフにしました。これを見るとドル円レートは過去、購買力平価プラスマイナス20%の範囲で動いてきたことがわかります。一時的に購買力平価から30%離れた円高になったこともありました。

今、購買力平価は1ドル=約100円です。ところが実際のレートは1ドル=約107円です。1ドル=120円台のときと比べるとかなり円高が進みましたが、それでも購買力平価よりは円安水準にあるので、円高圧力がかかりやすい状況といえるのかもしれません。

ただし、実際のレートは購買力平価から大きく離れて動きます。なぜかといえば、かつては企業の輸出入に基づく貿易収支で為替レートが動いていましたが、資本収支が自由化されて以降は資本収支が為替を動かす主体となったからです。

資本収支とは簡単にいうと、お金の動きです。為替変動に一番影響が大きいのはヘッジファンドなどの短期マネーの動きです。短期マネーは日米の中央銀行の政策や金利差をにらみながら活発に動き回ります。次いで企業のM&A(合併・買収)や工場建設などの長期マネーの動きも大きく影響します。

最初の話題に戻ります。ドル円レートの適正水準はどこでしょう? 確かに購買力平価は1ドル=100円ですが、私は資本収支からみた適正水準は1ドル=110円近辺ではないかと考えています。米国の方が金利が高く成長率も高いので資本収支では日本からお金が出ていく流れとなります。いずれにしても貿易収支と資本収支を勘案すると、為替の適正水準は1ドル=100~110円ではないでしょうか。

ただし、それはあくまでも適正水準にすぎません。短期マネーは日々の材料に大きく反応するため、実際のレートは適正水準を無視して動く場合が多いのです。短期的には為替は適正水準から20%以上離れることもあるでしょう。最近は日本株も為替も動きが速く、個人投資家はついていくのがとても大変です。私が為替の先輩ディーラーから聞いた言葉のように「適正水準? そんなの誰にもわからない」「頭のいいヤツはディーラーに向かない」といった感じで、一歩引いてマーケットに臨むことも必要ではないでしょうか。

プロのポートフォリオは運用に精通したプロが独自の視点で個人投資家に語りかけるコラムです。原則火曜日掲載で、楽天証券経済研究所所長兼チーフ・ストラテジストの窪田真之氏とレオス・キャピタルワークス社長兼最高投資責任者(CIO)の藤野英人氏が交代で執筆します。
窪田 真之(くぼた・まさゆき) 楽天証券経済研究所所長兼チーフ・ストラテジスト。1961年生まれ。84年慶応義塾大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)入行。87年住銀バンカース投資顧問(当時)に出向、日本株ファンドマネジャー兼アナリスト。90年住友銀行証券部海外業務開発プロジェクトチームに異動、91年ニューヨーク駐在。92年住銀投資顧問(当時)日本株ファンドマネジャー、99年大和住銀投信投資顧問日本株シニア・ファンドマネジャー、2014年2月楽天証券経済研究所チーフ・ストラテジスト。15年7月から所長兼務。大和住銀投信投資顧問では日本株の運用歴25年のファンドマネジャーとして活躍した。99年の運用開始から13年まで担当した「大和住銀日本バリュー株ファンド」(愛称「黒潮」)は長期に安定した成績で知られる。金融庁企業会計審議会の会計部会臨時委員も務める。著書に「投資脳を鍛える!株の実戦トレーニング」(日本経済新聞出版社)、「クイズ 会計がわかる70題」(中央経済社)など多数。
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