台所の魔法、茅乃舎のだしパック 店舗に絶えない行列
久原本家の挑戦(1)
港区六本木の東京ミッドタウン。トレンド発信地として定着したこのビルに著名人がお忍びで通う店がある。今をときめくアイドルや俳優もいるらしい。だしパックやドレッシングを扱う茅乃舎(かやのや)の店だ。
茅乃舎は保存料などが無添加の商品をそろえているのが特徴だ。2010年に東京ミッドタウン店ができるまでは、地元、福岡県の百貨店を除けば、通信販売や百貨店の催事での販売が中心の知る人ぞ知るブランドだった。それでも料理の手間が省けると主婦層に人気を集め、料理好きの若い女性の関心が高かった。代表商品は九州で古くから愛されているアゴ(トビウオ)を使っただしパック。かつお節や昆布を煮出してだしをとる代わりに、パックを煮出せば済む手軽さが人気を集める。
「へえー。おいしいのかね?」。料理に興味のない男性諸氏も、実は知らず知らずのうちに食卓で口にしているかもしれない。茅乃舎のだしは味噌汁や煮物、炊き込みご飯と活躍の場が広い。信奉者は「台所の魔法」とあがめる。それでも、食卓に出る頃にはだしパックは姿を見せないので、食べるだけの人には気づきにくい裏方だ。
茅乃舎を運営するのが久原本家グループ(福岡県久山町、河辺哲司社長)だ。現在、茅乃舎の直営店が18店、2016年中に全国で20店舗体制となる。今も有名百貨店からの出店要請が絶えない。
「試食して納得して買ってほしい」。河辺哲司社長のポリシーだ。「途中で捨てられてしまう調味料は多いが、そうはしたくない。納得して買ってもらい使い切ってもらわないとリピーターにはなってもらえない」と語る。試食しないなら買わないでほしいとさえ聞こえる。そのぶん、店内の随所に顧客を最優先する配慮が詰まっている。
来店客が望めば店内のどの商品でも試食できる。それでなくとも、店に足を踏み入れればスタッフがトレーにだし入りのカップを載せて近づいてくる。ドレッシングや炊き込みごはんのもとを使ったひとくち大の料理を勧められる。試食して「あ、おいしい」と思ったなら、茅乃舎ファンの入り口に立っている。店内には約200の商品が並ぶ。だしパックひとつとっても「茅乃舎だし」に「極みだし」「野菜だし」「椎茸だし」……。減塩タイプも合わせると7種類もある。料理好きには、どれを買おうか悩むひとときも楽しい。
選ぶ楽しみは茅乃舎の人気の秘密の1つ。2010年に開店した東京ミッドタウン店の開業当時の逸話がある。河辺社長は店内をじっと見回す紳士を見つけた。声をかけると「なんでこの店にいるお客さんは楽しそうなんだ」と感心した。紳士は大手百貨店の食品担当者で、自分の店以上に楽しそうなお客の表情を見て不思議がっていたという。河辺社長は「茅乃舎の調味料で、家族や友人に何を作ろうかと楽しんでもらっているからでは」と推測する。
「お客さんの笑顔のために」。現在200点の商品数は増える一方で、廃番になる商品はほとんどないという。経営だけを考えれば非効率かもしれないが「お客さんが喜んでくれるならどんな商品でも作る」のが河辺流だ。それだから商品がヒットし、改良する際には、よりよい素材を使う。一般的な企業が大量生産に移行し、資材調達コストが下がるなら、利幅を増やすはずだ。茅乃舎はコストが下がった分を原資に、もっとよい素材を採用する。「お、コストが下がるなら、もう1ランク良い素材が使えるねって、おいしさを追求する」と楽しげに河辺社長は語る。だしパックの素材は「焼きあご」「かつお節」「うるめいわし」「真昆布」「海塩」で、保存料などは加えない。より良い素材を使えば、料理がよりおいしくなるという自信がある。
こんなポリシーの背景には河辺社長の原体験がある。大学を卒業後、いやいやながら家業のしょうゆ蔵に就職した。明治26年(1893年)創業の老舗とはいえ、社員6人で年商6300万円の中小企業だった。河辺社長自身も近所を回ってしょうゆ瓶を手売りする日々が続いた。その苦労の中で強まっていったのが「お客さんがいてくれることはありがたい」という思い。いい物を作ってお客さんに喜んでもらわなければ企業として継続できない。当時の気持ちは年商200億円に迫る企業となった今も変わらない。
茅乃舎の代名詞ともなっているアゴだしの人気の理由を問われると、力強く「わからない」と一言。「でも、おいしいでしょ」と大笑いする。茅乃舎のだしパックは07年に発売。実はアゴ入りのだしのパックは味の兵四郎(福岡県筑紫野市)が先に発売していた。そんなアゴだしがじわじわと全国に知られ、メディア等で取り上げられるようになったのは茅乃舎の東京進出から。いまや、アゴだしは主婦向け雑誌やSNSでも頻繁に取り上げられるなど、まだまだブームは広がりそうな勢いだ。火付け役となった茅乃舎は、かつお節や昆布のだしが中心の関東、関西、名古屋にとどまらず北海道でも人気のブランドだ。
それでも河辺社長をはじめ久原本家の社員のほとんどが「今の人気は一時的なブームではないか」と不安を抱いている。新規出店すると開店当日には必ずお客が列をなす。だからこそ、河辺社長は開店前に並んだお客さんを見つめ「ありがたい、ありがたい」とつぶやく。高島屋新宿店(東京・渋谷)を2月24日の開店初日に訪れた中野区の40代の主婦は「気になっていたブランドなので、近所に店舗ができたので買いに来た」と商品を買い込んでいた。リピーターも多い。以前から茅乃舎のだしを使っていたという料理が趣味の30代女性会社員は「減塩タイプのだしパックがあるのがうれしい」と話す。
試食で味に魅了されても、家庭で料理を作るとなると話は別だ。ファンになってもらうためのフォローも欠かさない。会計後、商品と一緒に配布するのが「お料理読本」と銘打ったレシピ集だ。どれも、2~3の手順で比較的簡単に作れるレシピが載っている。江戸時代に使われていた、煮きった日本酒にかつお節や昆布のだし、魚醤(ぎょしょう)や梅酢で作った「煎り酒」を使うレシピをみてみると、豚バラ肉とタマネギを煮るだけの「豚バラ肉と玉ねぎの煎り酒煮」がある。試しに作ってみると味付けの手間もなく、食卓のメーンになる1皿ができた。こうなるとお料理読本の他の料理にも挑戦してみようという気になる。色々な料理に挑戦するうちにファンになっていく。そんな流れをつくる工夫も人気につながっているのかもしれない。
試食から商品選択、会計に包装と、どの店員ももてなしの姿勢をおろそかにしない。どれだけ人気があっても「お客さんが来てくれるのは当たり前ではない。感謝しよう」と河辺社長は口酸っぱく言い続ける。新店開業日でも「売り上げはどうでもいい。お客さんに喜んでもらえる接客を心がけろ」とあいさつする。接客マニュアルはあるが、「それにとらわれず、お客さんの望みをかなえるようにしよう」とも話す。
あまり料理に興味が無くても、一度、店に入れば「もう一度、茅乃舎に行ってみよう」と思う人は増えるはずだ。気をつけなくてはならないのは、目的を定めないと豊富な商品を前に迷い、何も買えなくなりかねないこと。あれもこれもとなると財布が心もとなくなる。河辺社長からは「外食に比べれば安いっちゃろ」と福岡弁で問いかけられてしまったが、毎日使うにはちょっと割高感は否めない。まずは、だしパックで味噌汁や煮物、だし巻き卵あたりから始め、徐々に買い足すのが良さそうだ。
(西部支社編集部 川名如広)
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