半世紀前の東京五輪の開会式当日は抜けるような青空だったとされているが、当時の日本は大気汚染などの公害が社会問題となっていた。その後、日本は深刻な公害を克服。今、人類が経験したことのない超高齢社会での対策を進める。成熟社会が示す今回の五輪後のレガシー(遺産)は何か。三菱総合研究所の小宮山宏理事長(71)に聞いた。キーコンテンツは「金・銀・銅メダルは都市鉱山産出の材料を使いたい」だ。
――前回大会と2020年の東京大会の時代背景は大きく異なりますね。
「当時は高度経済成長のまっただ中で、首都高速や東名高速、新幹線などが相次いで建設され、こうしたインフラがその後の日本経済を支えるレガシーとなりました。大学生だった私は『日本がオリンピックができる国にまでなった』ということ自体がうれしかったことを覚えています。アジア初の開催に国民感情は高揚していた。ただ、日本は水俣病やイタイイタイ病など四大公害病などを抱えていた。北京五輪を開いた今の中国の状況と非常に似ています」
「それから半世紀たった今の日本はどういう状況か。緩やかに経済的成長を遂げ、少しずつ寿命も延びてきた人類1万年の歴史の中で、産業革命を経て、豊かな人が急速に増えてきたのが20世紀の特徴です。日本もこの流れに乗って先進国になりました。先進国は今、食べられないという不安よりは、肥満を抱える人が多くなっている。これはまさに歴史の転換点です」
――日本は豊かな社会を実現した。それではこの先どうなるのでしょうか。
「先進国のほとんどの人は豊かなモノ(衣食住)を持った。情報の手段、移動の手段、長寿も得た。江戸時代の農民になったと考えてみたらいい。みんなで稲作やって、ほかで何が起きているかを知らず、あまり知らないのであまり動きたいとも思わず、移動する手段もない。平均寿命40歳。これと比較すると、今は誰もビジョンを持っていません。食べられない時のビジョンは簡単。食べることだ。モノがないときのビジョンも簡単で『高速道路をつくって自動車を持ちたい』だった。それを持ってしまった。その時に何をやるのかを見せるというのが、今度の2度目のオリンピックの意味だと思う。何をやるか。それはプラチナ社会の実現だと考えます」
――プラチナ社会とはどういう社会でしょうか。
「モノに加え、質的にも豊かな社会で、威厳を持って輝く人生を可能にする社会と定義しています。国内総生産(GDP)というのは、途上国にとってはいい目標で、経済成長が続くと幸せになれる。しかし、先進国となった今の日本では違う。生活のクオリティーを上げたい。長生きしたいと言っても80~85歳は、もう人類の限界に近づいている。これ以上寿命を延ばすという話ではなく、もっと誇りある人生を生きたいということ。これが今後の目標になるでしょう」
――これだけ情報伝達の手段が発達すると、そもそも移動する必要があるのかという問題が出てきます。
「非常に重要な問題だが、私はなくならないと思っています。やはりフェース・ツー・フェース、面と向かって会話するのは重要で、ネットによるテレビ電話とは違う。確かに何でも直接会うかというとその必要はなくなった。宮崎にある電子商取引(EC)の会社『アラタナ』の山本稔社長の言葉がものすごく印象的だった。『オフィスに入ると東京。ドアを出ると宮崎で。自分はサーフィンが好きなんです』という。ビジネスで注文を取るのはネットで簡単にできるが、必要があれば東京に行く。飛行機に乗ればすぐに行けます」
「コマツが本社機能の一部を石川県小松市に移した。坂根正弘相談役は『成功した』と言っていました。東京にいる女性管理職の子供が平均0.9人。しかし、小松の管理職では2.6人だという。通常業務の相当部分は小松で何の問題もない。しかし我々の世代は太平洋ベルト地帯で働くか、宮崎で農業やるかの選択しかなかった。モノ、移動ということを考えると、現代は自由になった。そう考えて新しい社会をつくれるかどうかでしょう」
「人々が幸せになればいいという当たり前のところが起点となる。東京に出かけてベルリン・フィルのコンサートを聴く一方、北海道のニセコでスキーをして、宮崎でサーフィンを楽しむようなマルチハビテーション(多地域居住)も当たり前になるかもしれない」
――高齢社会も深刻になってきています。乗り越えられるのでしょうか。
「高齢者の社会参画によって、社会に役に立ち、生きがいのある人生となる。もはや高齢者が社会に参加することは不可欠になったと感じています。例えば産業用冷凍機大手の前川製作所(東京・江東)。ここは60歳の定年後も、本人が希望して、周囲が了承すればいつまでいてもいい。もちろん給料は下がるが、そこのニッチトップの製品はほとんどすべて、こうした高齢社員と現役とのコラボだという。これは非常に示唆的なケースです。なぜなら、社会の目標がGDPから生活の質向上に変わりつつある現在は激しい変革期といえる。しかし、急には変われないし、現役世代は非常に忙しい。経験があり、それほどお金を必要としない世代の高齢者が適役だと思います」
「東大の教員時代に、留学生に日本語を教える必要があってボランティアに近い形で先生を募集した。高齢の女性が多く、彼女らが留学生に文化を教えようとお祭りなどに連れて行ってくれた。一番成功したのは餅つきで、日本の学生や先生も集まってくる。餅をつく臼をどこから借りてくるのか、もち米をどう蒸すかなどの知恵や経験があるのは、やはり高齢者なんだと感じた。オリンピックはいい機会だと思います。お年寄りを大量に動員して、世界各国から来た人に日本の文化でおもてなしができる」
――もう一つ、環境問題も重要です。
「解決した問題も日本にはある。それは公害だ。パルプ工場が川への廃液投棄をやめ、メッキ工場がケミカル物質を流さなくなった。下水道が整備され、処理水を流すようになった。大気汚染も同様です。日本は20~30年かけて、『排出しなければ自然は回復する』ということを証明した。東京にある江戸川や多摩川の河川すべてにアユが遡上する。後背地に3000万人が住んでいる地域でアユ釣りができる。東京は世界一の清流を持ったメガシティーです。それから江戸時代よりも富士山が見える回数が多いという。これは世界に誇るべきことだと思います」
「工業で立国してきた国がここまで空と海と土をきれいに復活させた。これは誇るべきことで、これをオリンピックで示すべきだ。今、中国やインドのニューデリーでは微小粒子状物質『PM2.5』による大気汚染が深刻な状況になるなど、アジアの公害問題はかつての日本と同じ状況になっている。過去から現在に至る日本の公害克服の過程を知ったら、驚くでしょう」
――対策を続けなければならない問題もあります。
「温暖化に対してどうするのか。日本では鉄鉱石や金は採れません。しかし、21世紀は都市鉱山に向かう。どういうことかというと、『人工物の飽和』という概念が背景にある。日本の車は5800万台で一定。廃車の分だけ新車が売れる形で成り立っている。人工物はその廃棄された分だけつくればいい。民家の数も約6000万軒、ビルの床面積もほぼ飽和状態になりつつある。ということは都市鉱山に必要な資源が十分にあるということになる」
「中国の後に経済成長を続けるのはインドとアフリカしかない。その国が成熟社会に到達するのが2050年だとすると、その時には世界中に人工物の飽和が生まれ、自然鉱山はいらなくなる。都市の中で資源が回り出す。日本は都市鉱山に関わる、その象徴的なプロジェクトをぜひやるべきです。それが世界に21世紀を見せるということにつながる。だからメダルは再生金属で作りたい。競技場もできればそうしたい」
「今、日本の自動車の使用年数は約12年。5800万台が12年たつと廃車になる。1年では約490万台分が需要となる。そこでなおかつ自然鉱山を残そうとするのは、スクラップを捨てることに等しい。しかし、人類はどんどん回収する。いわゆる高度成長のような一本調子のGDPで表現できる成長期は終わりました。GDPを増やすために何かをやるのではなく、生活のクオリティーを上げようと考えた時に、新しい社会が見える。日本がどっちを向こうとするのかを、片りんでもいいから見せるのが、2020年のオリンピックだと考えています」
北九州市のホームページで「公害克服への取り組み」というコーナーを見ると、1960年代の公害の様子を撮影した写真を見ることができる。「煙におおわれた空」「大腸菌でさえ棲(す)めない汚れた洞海湾」という説明文の写真は、公害に悩む今の中国の状況と重なる。公害を克服した現在の日本は、急速な経済発展を続ける国々の針路になるというのが小宮山理事長の考え方だ。
アユが遡上する東京の川、江戸時代より富士山が見える回数が多い都心の空気。公害問題は過去の負の遺産として目を背けがちだが、それらが経済発展とともに環境問題を克服してきた現在の日本のレガシーになりうると主張する。
やがて中国をはじめとした経済発展を続ける国々も「失われた20年」を経験し、少子高齢社会に突入する。そこで彼らは問題解決のカギを将来の日本社会に求めるかもしれない。「そのためにも、次回のオリパラ東京大会で体系的に示さなければならない」という。
環境に配慮した成熟社会が、経済を収縮に向かわせるとは限らない。むしろ「豊かさの証明」だったクルマやカラーテレビを求めた時代より、多様なニーズに応じてきめ細やかな付加価値を商品に求める時代の方が消費や商品開発を活発にさせる可能性はある。それぞれの身体の障害に応じた補助器具の開発や、買い物や長距離旅行など使途に対応したモビリティーの発達などがそれにあたる。今後4年でその方向性が明確になるだろう。
(オリパラ編集長 和佐徹哉)