リオに学ぶ東京五輪の針路 識者に聞く

リオ五輪日本選手団の解団式で団旗を返還した旗手の右代選手(中央、8月25日、東京都港区)=写真 伊藤航
リオ五輪日本選手団の解団式で団旗を返還した旗手の右代選手(中央、8月25日、東京都港区)=写真 伊藤航

リオデジャネイロ五輪が閉幕し、7日(日本時間8日)からはリオでパラリンピックが開幕する。リオ五輪で史上最多の41個のメダルを獲得した日本。リオ大会から何を学び、4年後の東京大会で世界に何を発信すべきか。過去3度五輪に出場した元陸上選手の為末大氏と、五輪の歴史に詳しい筑波大学の真田久教授に聞いた。

高まる個の発進力期待 元陸上選手 為末大氏

為末 大氏(ためすえ・だい) 陸上男子400メートル障害で五輪3大会に出場。12年引退。スポーツによる社会貢献を目指して活動を続ける。38歳。

――リオ五輪で日本選手は大活躍でした。

「ほぼ目標通りの成績を収めたと思う。2020年の東京五輪を控え、今はメダル増加へ公金を使うことに国民的な理解を得やすい雰囲気もある。だが、その先に目を向ければ、メダルを取るだけではなく、スポーツを盛り上げることが国民の健康増進など多くのメリットをもたらすことをもっと示す必要がある」

「スポーツは社会の課題を解決するために役立つものであるべきだ。少子高齢化が進む20年以降の日本は今までのようにはいかない。財政状況だって改善しないだろう。移民の受け入れを真剣に検討する必要もあるかもしれない。20年大会はパラリンピックを含めて、そうした日本の将来の姿を考えるきっかけになるのではと期待している」

――リオ五輪で他に印象に残ったことは何でしょうか。

「アスリートが自分のバックグラウンドを積極的に発信する時代になったなと感じた。性的マイノリティーであること、過去のコーチとの嫌な体験、自分の国が抱える問題など、様々な個人の事情を明らかにして競技に臨む」

「難民選手団からもいろいろな情報が発信された。SNSなどネットの存在も大きい。国籍や民族ではなく、そのバックグラウンドに共感して応援する人も増えた。国家ぐるみのドーピングでメダルを積み上げようというのとは対極の動きだ。4年後はもっと個の発信が強まるだろう」

――ドーピングをはじめ、スポーツの公平性(フェアネス)も考えさせられました。

「本当に難しい時代になった。ドーピングを禁止する最大の理由は、以前は選手の健康被害だったが、今はスポーツの本質であるフェアネスを損なうことが第一に挙げられる。医科学の進歩で、禁止薬物で必ずしも健康被害があるといえなくなった。だが、フェアネスを損なうのは薬物だけではない。先進国と途上国ではそもそも用具やトレーニング環境など必ずしも公平な条件だとはいえない」

「パラリンピアンで義足の走り幅跳びの選手、レーム(ドイツ)は、五輪でメダルを狙う力がありながら、今回出場を認められなかった。義足でジャンプ力が増していると疑われたためだ。公平という視点では確かにそうだが、五輪への道を閉ざすことは正しいことなのだろうか。これからは幼い頃に遺伝子ドーピングにあたる医学的な治療を受けた選手が登場する可能性もある。ドーピングやフェアネスに関し、哲学者や科学者も交えて新しいものさしを作る時代になったと感じる。次回の開催国として日本がそうした議論を提唱してもいい」

――日本は20年大会で世界に何を発信すべきでしょう。

「五輪にも期待したいが、個人的にはパラリンピックに注目している。多くのパラリンピアンはもともと持っていたものを失った人たちだ。だが、残っている能力に着目して、そこから新たな可能性を見いだして生き生きと人生をすごしている。20年以降の日本にも、そんな価値観の転換が必要になってくると思う」

「経済力がこれまでのようにはなくなっても、世界から尊敬される国にはなれる。東京大会が目指すビジョンは、最も寛容な社会の実現がいい。パラリンピアンにも過ごしやすい街づくりをするのはもちろん、日本ならだれもが快適に過ごせると感じてもらえるような雰囲気の大会にしたい。世界で最も寛容な国というイメージだろうか。それは日本が重視する訪日客のさらなる増加にもつながる」

――具体的にすることは。

「会場の雰囲気づくりも大切だ。満員のスタンドはもちろん、自国一辺倒の応援ではなく、どこの国の選手も温かく迎える。世界では狭めて絞り込んで、同じような人々だけで集まろうとする動きが広がっていると感じるが、それとは逆に日本が目指す未来の姿を分かりやすく示せないか。東京でプレーしたのが最高に幸せだったと世界中のアスリートが言ってくれる大会にできたら素晴らしい」

「巨大化した五輪は国にフォーカスしすぎるとナショナリズムを高揚させ、ぎすぎすした空気を生む。一方で、個を発信するアスリートが増えている。東京ではそこにフォーカスし、個をリスペクトする。そんな大会を日本でまた始めてみたい。それは同時に五輪の理念、原点にもどることにつながると思う」

(聞き手は編集委員 北川和徳)

国威発揚より平和訴え 筑波大教授 真田久氏

真田 久氏(さなだ・ひさし) 早大博士(人間科学)。現在、筑波大の体育専門学群長。五輪の歴史や役割を文化人類学の視点で研究する。60歳。

――リオ五輪をどう評価していますか。

「競技会そのものは成功だった。治安面など前評判が悪かったので心配したが、大きな問題は生じず閉会できた。難民でつくるチームも良かったのではないか。国という枠組みを超え、みんながスポーツをする権利があるということを示してくれた。世界に勇気を与えたと思う。残念だったのは、南米文化を発信するプログラムなど周辺の催しが十分でなかったこと。工事の遅れや予算の問題があった」

――景気低迷で開催反対の声も聞かれました。競技場の中と外に分断がありました。

「そうならないためにも、誰でも参加できる文化プログラムの充実が大切だった。2012年のロンドンの時は公園でオノ・ヨーコさんの平和のメッセージ展をやっていたり、裁判所でスポーツと法律の展示をやっていたり、街中に文化プログラムがあふれていてみんなが楽しめた」

「そもそも五輪は『オリンピズム』の理念を普及させるための活動の一つ。体、心、意思をバランス良く発展させ、人の交流を通じて世界を平和にしようという理念だ。そのため、スポーツを文化や教育と融合させる周辺プログラムも重視されている」

――20年の東京大会がリオから学べることは何ですか。

「日本の文化をきちんと発信すること。書道や生け花など日本の伝統文化を体験できるようにしたり、お祭りを紹介したり。アニメなど現代文化もいい。日本に興味を持ってもらうことで大会が終わっても交流が続く。トップアスリートだけでなく一般の人に五輪の効果を還元すれば、開催の意義がより実感できる」

――1964年の東京五輪とは何が違うのでしょう。

「64年は日本が西洋から学ぶ五輪だった。西洋の人たちをきちんと迎えようと、トイレやホテルの整備など西洋化が進んだ。2020年はむしろ日本から世界に伝える、日本が世界に貢献する五輪になってほしい。例えば東日本大震災からの復興や、高齢化社会の中でのスポーツの役割なども発信していけるはずだ」

――五輪には長い歴史があります。

「紀元前に行われていた古代五輪が、およそ1500年間の中断を経て再開したのが1896年のアテネ。万国博覧会が盛んになり世界交流に関心が高まっていた時期だった。再開当初は気球に乗ったり、綱引きがあったり、運動会のようなものだった。国ではなく個人として参加できた。国の代表となったのが1908年。人気を博すようになると同時に、国威発揚の意味合いが強まった。その象徴が36年のベルリン大会だ。ナチズムの宣伝に使われた」

「その後もナショナリズムが前面に出た大会が続いた。80年のモスクワでは、米国や日本など西側諸国がボイコット、84年のロサンゼルスではソビエト連邦など東側諸国がボイコットし、まさに政治に翻弄される五輪になっていった。そうした危機感から、80年ごろから友情や尊重を大切にする五輪の理念をきちんをつたえていこうという運動が強まった。今も途上国を中心に国威発揚の意味は残る。でもそれは五輪の一つの側面にすぎない」

――日本でも金メダル数に注目が集まりがちです。

「関心はある。でも自分の国だけでなく、初めてメダルを取った国があるのかとか、まだメダルを取ったことのない国に日本がスポーツ教育や器具の開発でなにが貢献できるのかにも興味を持ってみてはどうだろう。そうした情報発信が増えれば、五輪にお金を使う意味も理解されやすいのではないか」

――ドーピングの問題も深刻です。

「難しい問題だ。医科学が発展した結果でもある。ただ、ドーピングの中身そのものと、どうコントロールしていくかは分けて考える必要がある。ロシアのように国家ぐるみでドーピングをすることは決して許されない。日本人はドーピングが少ない。学校教育を通じてスポーツが発展してきた影響が大きいと思う。これも世界に発信できるメッセージの一つだ」

――東京五輪は世界の中でどう位置づけられますか。

「五輪は欧州の文化として発展してきた。日本でやる意味は大きい。欧州とアジアの融合にとどまらず、イスラムやヒンズー文化などもっと多様性のある五輪になっていけばいいと思っている」

(聞き手は福山絵里子)

五輪を開催する真の目的は世界の平和に貢献することだ。真田教授が指摘するように、国籍や民族、宗教などの違いを超え、スポーツだけでなく文化でも交流して相互理解を深めることにこそ五輪の価値がある。だが、国の代表が競い合うという形になってから、国威発揚という本来の趣旨と異なる目的に利用されてきた歴史があるのも確かだ。

行き過ぎた商業主義や大会の巨大化が重なり、理念との乖離(かいり)はさらに大きくなった印象さえ受ける。ロシアによるメダル増のための国家ぐるみのドーピング隠しはその象徴といえるだろう。

一方で、為末氏はアスリート個人の発信力に注目する。現代のアスリートはSNSを利用し、自らの意思で国境を越えて共感を広げることができる。ナショナリズムなどを超越し、その存在に素直に感動する。そんな雰囲気を我々が醸せれば、4年後の東京は五輪が原点を取り戻す絶好の舞台になるかもしれない。

(北川和徳)