宝くじ発祥、実は大阪の寺に 「富突き」の歴史探る
大阪駅前第4ビル(大阪・梅田)にある宝くじ売り場。よく当たるといわれ、発売日ともなれば長蛇の列ができる大阪の風物詩だ。人気の秘密はどこにあるのだろうか。調べてみると、大阪の庶民が古くから楽しんだ「富突き」の歴史が浮かび上がった。
「これより"億の近道"」。松尾芭蕉「奥の細道」をもじった横断幕を通り抜けると、大阪の宝くじの聖地ともいえる「大阪駅前第4ビル特設売場」がある。ジャンボ宝くじの販売期間だけ開かれる売り場で、関係者は「高額当選者数が日本一よく出る」とPR、実際に昨年の年末ジャンボでは1等が2本出たという。
売り場で購入者に話を聞く。10年以上前から常連という和歌山県有田市の男性会社員(57)は「どこで買っても同じかもしれないが、毎回1等が出ているから」。大阪府吹田市のパート従業員の女性(44)は「当たりやすいと聞いた」。宝くじファンの"信仰"を集めているのが分かる。
大阪人は「宝くじ好き」のようだ。みずほ銀行によると、大阪府の1人当たりの宝くじ購入額は8509円(2013年度)と関西圏で最多。全国でも4番目に多い。
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実は大阪と宝くじの縁は古くに遡る。「弥次さん喜多さん」の珍道中を描いた「東海道中膝栗毛」には、2人が天神橋の近くで拾った当時の宝くじ「富札」にまつわる話が登場する。大金持ちだとほらを吹く宿屋の客が、主人から富札を買わされ大当たりする「高津の富」は上方落語の名作だ。
さらに、宝くじ発祥の地は大阪にあるらしい。宝くじの公式サイトには、大阪府箕面市にある「箕面山瀧安寺(りゅうあんじ)」とある。
同寺では毎年、札を突いて当たった人に「大福守」を授ける宗教行事「富法会(とみほうえ)」が開かれてきた。一時中断したが歴史は400年以上続いている。お守りには健康や商売繁盛の御利益があるとされ、江戸時代後期の観光案内書「摂津名所図会」にもその様子が描かれている。
富法会に参加するには有料のお札が必要。売り上げで寺の修繕費などをまかなった。収益の一部をまちづくりなどに充てる現在の宝くじの仕組みの源流となった。山本照覚住職(76)は「宝くじは外れた分も国民のために生かされる。その仕組みがこの寺から生まれたのは誇り」と胸を張る。
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大阪商業大学商業史博物館の池田治司学芸員によると、瀧安寺発祥の富法会は近世に金銭が当たる「富突き」として江戸に伝わる。その後、幕府許可制の「御免富(ごめんとみ)」となり、江戸、京都、大坂の寺社で行われるようになった。
東京都千代田区の日比谷図書文化館の滝口正哉氏の論文「上方の富興行について」をひもとくと、幕府はギャンブルである富突きを規制、販売から当選金の受け渡しまで全て寺社内で行うことを原則とした。だが実際には富札屋と呼ばれる業者が街中で販売。江戸では取り締まりが厳しくなると、屋台などで隠れて売られることもあったという。
一方、大坂では江戸と対照的に幕府の締め付けが緩やかだった。富札屋は店先にちりめんやビロード製ののぼりを何本も立てて大々的にアピール。鈴やのぼりなど派手な飾りを付けた馬で当選金を運ぶさまは、人々の羨望のまなざしを浴びていたと想像される。
当選金の最高額にも東西差があった。江戸では幕府の規定を守り上限を300両に設定したが、大坂では売り上げ増のため最高1000両の富も販売された。池田さんは「商業が発達した大坂ならでは。投機に対する関心も高かった」とみる。
かつて富くじに熱狂した浪速っ子の姿を思い浮かべると、現代の第4ビルの売り場のイメージに重なる。派手に楽しんだ町人の気風が、大阪に受け継がれているのかもしれない。
(大阪経済部 井沢真志)
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