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80年代の国債バブル崩壊 慎重さと大胆さで乗り切る マーケットエコノミストの極意(9)

2018/7/13

写真はイメージ=123RF

債券市場は、株式や外国為替市場に比べリスクに慎重な参加者の割合が高いとされる。時間をかけてコツコツと利息収益を積みあげていく取引が主流だからだ。債券相場は1980年代にバブル発生と崩壊を経験している。激動期を生き抜いた久保田博幸氏は「どんなに大胆なディーリングをしても、あらゆるリスクシナリオを想定する緻密さ、繊細さがないと勝ち続けられない」と指摘する(以下談)。

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■プラザ合意でディーラーの道へ

久保田氏は「牛熊さん」と呼ばれ、債券のプロの間で知名度が高い

初めて債券市場に飛び込んだのは86年、長期国債の先物が東京証券取引所に上場した翌年だ。債先上場の85年といえば、主要国5カ国がドル高是正で折り合った「プラザ合意」の年。財務省による円買い・ドル売りの為替介入と歩調をあわせ、日銀は円高を促すべく短期金利の高め誘導に踏み切った。このため債先は出だしから強い下落圧力がかかることになった。

当時の証券会社には上場商品に対して「ご祝儀商い」をする慣習があった。プラザ合意直前の債先上場も例外でなく、各社が我先にと大量に債先を買い込んでいた。そんな中で金利が短期主導で上昇を続ければどうなるか。結果は明らかだろう。

当時在籍していた水戸証券は優秀なディーラーを他社から引き抜き、取引に万全を期したつもりでいた。ところが当のディーラーが債先急落の損失によって交代となり、突如白羽の矢が立ったのが若手の自分だった。ディーリングを始めたきっかけが相場の急落だったからか、リスクに対する感度はおのずと高まったと思う。

■「89回債ショック」の教訓

80年代後半の債券市場は空前の「大ディーリング時代」。84年に銀行の自己取引が一部解禁となり、証券会社や銀行ではすご腕のディーラーたちが、日々数百億円もの売買を繰り返していた。派手な売り買いは巨額損失の危険と常に隣り合わせだ。多くのトレーダーが損失に耐えきれず消えていった。生き残れたのは大胆さのなかにも慎重さをあわせ持つ人だけだった。

現役時代の出来事では、87年5月に起こった債券バブルの崩壊が印象深い。バブルを主導したのは、国内のある大手証券グループだった。特定の債券を買い上げて市場のユーフォリア(陶酔)を作る手法で知られていた。とりわけ長期金利のベンチマーク(指標)となっていた10年物国債89回債の上昇幅は大きかった。

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