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「売れてこそ」福島への恩返し お笑いコンビ 母心(6)=(終)

2014/10/28

2011年3月11日に発生した東日本大震災を経て、漫才コンビ「母心」の2人の意識は「売れなければ恩返しできない」という強い思いに変わった。お笑いやれたら幸せ、生活は二の次だった関を変えたのは「売れたら福島の人たちはもっと喜んでくれる」と実感したからだ。最終回となる今回は、地方から形を変え東京に進出した「母心」の考え方と家族への思いを伝えます。

■「震災後1年」はパチンコ店での営業

母心(ははごころ) 吉本興業「★☆☆(ほしの)弁当座」所属の嶋川 武秀 (しまかわ・たけひで、写真左)と関淳 (せき・あつし)が08年に福島県で結成。同年、仲間とともに吉本興業から独立し団体名を『お笑いエンタ集団 みちのくボンガーズ』と改名。福島を中心とした東北地方でのお笑い活動を開始。12年、花形演芸大賞 銀賞受賞、14年漫才新人大賞受賞。

 福島でボランティア活動していると、確かに最初はみんな俺たちが避難所に向かうと喜んでくれました。それでもやっぱり、東京から有名なタレントが来る方がみんな喜ぶんです。「ただ福島に住んでいる」というだけでは弱い。「売れたい」という思いが強くなったのはそのころからでした。

嶋川 福島のテレビ局で、浅草を取材する番組があったんです。私、浅草にとても肌が合ったの。新宿・渋谷・下北沢には若い人たちをターゲットにした劇場があって、そこでお笑いライブをするという選択肢もありました。でも、浅草の演芸場が気に入っちゃってね。漫才協会もありますし。

「震災後1年で漫才新人大賞を取る」。これを大きな目標にして、福島で活動しながら同時につてを頼って東京の漫才協会に出入りするようになりました。そして震災後初めての3.11を迎えたんです。

 今でも忘れません。当然、福島では「東日本大震災から1年」といったようなイベントが各地で開かれて、町の人たちは静かに過ごしていた。僕らはというと、地元のパチンコ店のイベントに出ていました。パチンコ店では多くの店で1のつく日にイベントをやるんです。お客さんたちは俺たちのネタを聞いてくれるわけではなく、パチンコ台に向かって打っているだけ。

仕事をいただけるのはうれしいし、震災関連のイベントに出たかったわけじゃない。でも、3月11日にそれでいいのかと。

嶋川 パチンコ店も町も、その日は割と静かなのに、そんななかでパチンコを打ちにくる人たちもいる。あきらかに私らは必要とされていない。それでも「1のつく日」だから1日店長を2店舗掛け持った。

14時から15時が1時間の休憩だったの。車の中で14時46分に黙とうしました。そのとき「絶対に売れなきゃだめだ」って。

 自分の思いで一番大切な部分まで押し殺さないといけないのは、自分が売れてなくて仕事を選べないからなんです。この思いを打開するには全国区になるしかない。

嶋川 関ちゃんなんて、本当にお客さんの前に出ているのに顔が笑っていなかった(笑)。私が耳元で「す、す、スマイル・アゲイン・福島」ってささやいて。

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