オロナミンC、「メガネが落ちて」50年けいざい半世紀(1)

毎年、多くの商品が登場する半面、ひっそりと姿を消すものもあります。一方、変化の激しい世の中で半世紀も支持を集め、存在感を発揮している商品やサービスもあります。新コラム「けいざい半世紀」では“長寿”商品・サービスを題材に、成長や生き残りの秘訣を探ります。
1965年のCMから。「おいしいとメガネが落ちるんですよ」(大塚製薬提供、以下同)

「オロナミンC」が発売されたのが1965年(昭和40年)2月。CMの「元気ハツラツ」は高度成長期を代表する名コピーだ。毎年新商品が続々投入され、競争が厳しい清涼飲料水業界にあって、中身も外観もほぼ変わらず50年間も日本人に飲まれてきた。エナジードリンクのパイオニア的存在だ。

オロナミンCには誕生前からライバルがいたという。「リポビタンDを目標にしていた」(大塚製薬)。大正製薬が62年に当初医薬品として発売したリポビタンDはすぐ大ヒット商品に成長、大塚製薬が発売した「キングシロー」などの栄養ドリンクは軒並み歯が立たなかった。これまでと全く発想の違う商品開発を迫られたのが当時の大塚正士社長。レモン約11個分のビタミンCと各種ビタミン、はちみつなどの栄養成分を配合して仕上げる、現在にもつながる酸味と甘みのバランスを工夫した独特の味わいをまずつくりあげた。ただそれだけでは物足りない。

徳島県の工場で生産。左は大塚正士社長

大塚社長が決断したのは、栄養ドリンクに炭酸を入れることだった。1日の仕事に疲れた高度成長期の企業戦士たちに栄養パワーと飲みやすさ、すっきり爽やかな後味を提供する狙いだった。初の炭酸入り栄養ドリンクへの試みだった。

しかし炭酸を入れると医薬品扱いとはならず清涼飲料水の枠内で販売することになり、同社得意の薬局ルートが使いづらい。そこで「食料品店や酒店、鉄道やスポーツ施設の売店などへ地道に販路開拓せざるを得なくなった」(同社)。発売当初からCM出演していた大村崑さんは同社の関係者から「自分の写真が写っているホーロー看板を街中に張りまくる営業活動をよく聞かされた」という。「巨人の星」などの人気テレビアニメのスポンサーも引き受けた。70年(昭和45年)の大阪万博では場内売店の半数を超える100店舗以上でオロナミンCを扱わせてもらったという。「元気ハツラツ」のコピーとともに製薬業界を超えた知名度を獲得していった。「年間販売1億本を超えたのが72年」(同社)という。その後は急ピッチで伸び、累計100億本を達成したのが85年。同時期にアラブ首長国連邦、クウェートやバーレーンなど中東地域への輸出も本格化した。

現在のオロナミンC。1ダースでなく10本単位でまとめている

オロナミンCの目に入りやすい商品ロゴや赤いラベル、濡れても滑らないように施した表面のダイヤカットなどは発売時からほとんど変わらない。ただキャップだけは86年に開けやすいスクリュー型から一度開けると閉めにくいマキシ型へ変更した。利便性だけを考えれば逆行したようにみえる。84年から85年にかけて食品に毒物を混入させて脅迫する「グリコ・森永事件」にいち早く対応したのだろう。外部から異物が混入されないことを優先した。

変わらない味わいと安全性への細かな配慮が、消費者の長い支持を獲得するコツなのかもしれない。「今は家庭に常備してもらうケースが多くなっている。1本1本ではなくまとめて冷蔵庫に置いてもらう形だ」(同社)。家族全体で気軽に飲む栄養ドリンクというわけだ。発売当初の「モーレツ社員」らから孫・ひ孫の世代まで飲まれている計算になる。

オロナミンCの歴史を最もよく知る1人がコメディアン・俳優の大村崑(83)さんだ。現在もむろん現役。舞台や講演などで毎週東京―大阪間を行き来し、その精力的な活動は50年前と変わらない。

――大村さんとオロナミンCの関係は切り離せない。

現在の大村崑さん=撮影・沢井慎

「最初は大塚製薬の『オロナイン軟膏』のCMに出演していた。『頓馬天狗』というテレビ番組では役名が『尾呂内南公』(笑)。劇中劇ならぬ劇中CMで皆さんにうけていた。一度徳島県の大塚製薬本社に出向いたことがあった。大企業の今と違って社員47人という規模。大塚正士社長が『四十七士だ』と言って笑っていたな。新製品を出すのでそちらで出演してくれという話になった。」

「キャッチフレーズもでき上がっていて『元気ハツラツ オロナミンCドリンク』。実は自分は肺の病気で手術を受けたことがある。当時は誰にも話さなかったけれど(笑)。ただ元気というイメージとは違うので、最初は詳しく理由は話さずに断った。しかし大塚製薬さんは諦めてくれずに、若い担当さんから最後は専務まで交渉に来てくれた。そのうち妻(瑤子夫人)が引き受けてしまった」

――「おいしいとメガネが落ちるんですよ」の名コピーは世代を超えて知られています。

「メガネが落ちるんですよ」の仕掛けを説明する大村さん(同)

「CM監督が厳しい人でね。当時だからすぐ怒鳴るし子役はむずかるしで雰囲気も暗くなって大変だった。何度も取り直すから1回100本くらい飲んだかな(笑)ある時監督から『崑ちゃん。メガネをズリ落としてよ』と言われた。『うれしくないのでメガネ落ちません』と言い返したらスタッフ全員が爆笑。それでいこうということになった」

「最初はメガネに糸を付けて前に引っ張って落としたがうまくいかない。メガネをかけている人間ならすぐ分かると思うが前には簡単には落ちない。僕が『メガネの蔓(つる)のハシを後ろからワイヤーで上げてみたら』と提案。落ちるタイミングがズバリ合った。ほかにも『オロナミンCは小さな巨人です』は現場での私のアドリブ。もちろん何か面白いセリフがないか四六時中考えていたが」

――プライベートでも「オロナミンC」を飲み続けているとか。

「炭酸飲料はオロナミンCしか飲まない。自宅(大阪府箕面市)でもお客さんにはお茶でなくオロナミンCを出している。ハワイに行ってもコーラは飲まなかった(笑)」

――大村さんと大塚製薬の縁も深い。

「私は若い頃に医師から『40歳まで生きられない』と言われたこともある(笑)。それが今でも現役なのはオロナミンCのおかげかな。この50年間は大塚製薬のCMしか出ていない。毎年8月13日は午前中に徳島にある大塚社長のお墓にお参りしてから大塚の企業『連』で阿波踊りを踊っていた。それが私のお盆だ。CMに出なくなってもお付き合いは長く続いた。いわば顧問格と思っている」

――昔の文壇では直木賞作家の山口瞳氏のように1つの出版社と長く付き合うといったケースもあったが芸能界では珍しい。一番多くの企業のCMに出演した女性タレントが「CM女王」と呼ばれる。

「1社だけと最初から最後までとことん付き合ったタレントは私が最初でしょう。ひょっとすると最後かも知れない(笑)」

(電子整理部 松本治人)

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