1980年代後半、日本経済がバブルに踊っていたころ、結婚式は派手だった。披露宴は一大イベントで、式場もその豪華さ、絢爛(けんらん)さを競い合った。新郎新婦がスモークの中、ゴンドラで登場するような「派手婚」の時代。披露宴の費用は500万円超が当たり前、1000万円を超える例も珍しくなかったという。
やがてバブルが崩壊し、1990年代後半から2000年代になると、派手な結婚式は敬遠されるようになる。登場したのが「地味婚」だ。豪華な装飾はなくても、2人の生い立ちのスライドなど手作り感のある披露宴が主流になる。費用も100万円を下回るような質素なものも珍しくなくなった。
その後、リーマン・ショックを経て、デフレが深刻化する2010年代、披露宴はやらずに式だけ、あるいは入籍だけという「無し婚」が増えた。新郎が非正規労働者だったり、正社員でもいつリストラされるかわからない時代、披露宴にお金をかけるより、将来に備えて貯金という発想がごく自然なことだった。
そしてアベノミクスにより、経済の先行きに明るさが見え始めたこのごろ、じわじわ増えているのが「おもてなし婚」だ。最上真里さん(37)の披露宴はおもてなし婚だった。夫のダビット・ペーニャさんはスペイン人で、最上さんが留学中に知り合った。2人は12年にスペインで入籍し、バルセロナに住んでいる。日本での披露宴はなかった。
やがて子供が生まれ、生活も安定し、お互いの両親、親戚、友人などに改めて感謝の気持ちを伝えたいと思うようになった。日本で披露宴をしたいと考えた最上さんが式場に選んだのは、神奈川・鶴巻温泉(秦野市)の老舗旅館、陣屋だった。スペインから夫の親類縁者、友人など三十数人が来日、温泉、日本食など和風旅館のおもてなしを満喫した。「明治神宮なども考えたが、日本のおもてなしの心を伝えるには、旅館を貸し切りにして両家で泊まりがけの披露宴をするのがいいと思った」(最上さん)
おもてなし婚を前面に打ち出した披露宴を手掛ける関連企業も出てきた。結婚式場などを手掛けるブリリア(東京・渋谷、高柳さおり社長)で、昨年10月に銀座にオープンしたヴァルデモッサ銀座も、おもてなし婚をコンセプトにしている。披露宴まで多い時は十数回の打ち合わせを重ね、招待客への感謝の気持ちをいかに伝えるか、知恵を絞る。
例えば、披露宴のテーブルごとに担当者が決まっており、招待客と新郎新婦にどのようなつながりがあるのか、把握している。会場に到着した招待客は担当者にテーブルまでエスコートされる間に、「田中さまは新郎の大学時代の先輩ですね。よくお酒をご一緒されたそうですね」などと声を掛けるから、招待客はびっくりし、感激する。こうした情報は事前の打ち合わせで聞いておく。料理もできる限り要望に応える。ある披露宴では、新婦の祖母が肉が苦手なため、1人だけ魚料理を用意した。出席しても印象に残らない披露宴は多いが、「自分が大切にもてなされていると感じる式にすれば、招待客の満足度は高くなるはず」(ブリリアの小林優希取締役)
おもてなし婚の費用は派手婚と地味婚の中間が目安。おもてなし婚を志向するカップルの中で目立つのが、事情があって披露宴をできなかった「無し婚」組だという。経済的にも安定し、改めて感謝の気持ちを伝えたいと考えるようになるのだろう。子連れ披露宴も少なくない。結婚式が新郎新婦のハレ舞台だった時代から、招待客への感謝の気持ちを伝える時代に変わってくれば、披露宴に列席して良かったと、思う機会も増えるのではないだろうか。
(編集委員 鈴木亮)