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働き方・学び方
僕たちはどう働くか

大嫌いな人と組む方法 漫才コンビ「母心」でございますお笑いコンビ 母心(1)

2014/8/19

僕たちはどう働くか

福島県を拠点に活動する漫才コンビ「母心(ははごころ)」。早稲田大学に入り人生何でもうまくいくと思っていた「オカン」こと嶋川武秀は、ある日唯一思い通りにならない世界「お笑い」を知り吉本に。対して、中学生のころからお笑い好き、地元茨城で地道に活動を続けていた関あつし。“運命の出会い”をした二人は大手芸能プロダクション吉本興業を離れ、福島に腰を落ち着けて自立の道を歩み始めました。7月にコンビ結成7年目にして漫才新人大賞に輝いた2人の軌跡を数回にわたってご紹介します。
母心(ははごころ) 吉本興業「★☆☆(ほしの)弁当座」所属の嶋川 武秀 (しまかわ・たけひで、写真左)と関淳 (せき・あつし)が08年に福島県で結成。同年、仲間とともに吉本興業から独立し団体名を『お笑いエンタ集団 みちのくボンガーズ』と改名。福島を中心とした東北地方でのお笑い活動を開始。12年、花形演芸大賞 銀賞受賞、14年漫才新人大賞受賞。写真提供=オフィスまめかな

出会いは吉本の地方芸人一座

嶋川 早稲田を卒業して、吉本総合芸能学院(通称NSC)に入りました。当時NSCを卒業するとオーディションを受けに行くか、日光江戸村にあった「吉本お笑い劇場」に行くかのどちらかでした。

ただ、私の卒業した年に日光江戸村が終わってしまい、その流れがなくなってしまったんです。そこで吉本興業の芸人として地方派遣される「★☆☆(ほしの)弁当座」として江戸村の代わりに神奈川県の三浦半島にある「マホロバ・マインズ三浦」というホテルの宴会場や、愛知県犬山市の「博物館明治村」などに行き、巡業をしていたんです。

 俺は、卒業してから地方で活動していました。NSCに入ろうかと思いましたが、茨城で活動している、尊敬する先輩から「東京に行くだけが芸を磨く手段じゃない」というアドバイスをもらい、NSCに行くのをやめて茨城に残って地方芸人になったんです。ラジオやケーブルテレビに出て、バイトしながら生活していたんです。2005年に当時の相方に誘われて「★☆☆(ほしの)弁当座」に加入したのが、吉本との最初の関わりでした。

嶋川 そのとき私は一座のリーダーで、偉そうだったみたいです。

 年齢は同じですが、僕は吉本のなかでこいつの後輩でした。吉本は入所の年次で先輩、後輩が決まるんです。後輩の僕は、弁当座のルールを徹底的に教え込まれました。だから俺はこいつのこと大嫌いでした。ところが一座のなかでメンバーがそれぞれコンビを組むことになって、俺はよりにもよってこいつと組むことになってしまったんです。「当時の弁当座は芝居一座だ」と、ネタはやらないって決まりでした。「ネタの禁止令」が出ていて、リーダーの嶋川がネタ嫌いだったからネタをやらせないんです。

嶋川 実は、私はみんなほどお笑いがわからないから。怖かったんです。でもいよいよ芝居もやるけどネタもやろうかという話になって、先生に「これとこれ」って言われてネタをやることになりました。関ちゃんと私と、もうやめた子なんですけど3人で組んだんですよ。トリオでなんかやれ、ということで。

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嶋川じゃなくてオカンと組みたい 「母心」誕生