厳しい現場だがスタッフはついていく。「黒澤さんは美術を大切にした。セットも自分で率先して磨いた。小泉さんもみんなと一緒に磨く。そこまでやる監督はあまりない」と酒井賢。

酒井賢(美術)

美術助手として最初に黒澤組についたのは「どですかでん」(70年)。セットのあちこちで絵筆を入れる黒澤のため「ポスターカラーを並べた箱を首から下げ、駅弁売りみたいに歩いていた」。主演の少年の絵に手を入れる黒澤。「僕たちも描いた。楽しかった」

完全主義者と呼ばれた黒澤だがスタッフには創意・工夫を求め、新しいアイデアを喜んだ。「夢」(90年)で初めて黒澤組についた酒井直人は、キツネの面を特殊メークのスタッフに作ってもらった。黒澤のデザイン画の通りに作ったが、当人は不満だ。「これは絵なんだよ。絵の通りなんて面白くないだろう」という。

「でも、よくできるとニコニコしてくれる。それをみると楽しくて、またやろうと思う」と酒井直人。

上田正治(撮影)

「黒澤さんはスタッフの意見を聞く人だった」と語るのは撮影の上田正治(76)。「椿三十郎」(62年)以来の古参だ。段取りからリハーサルまで、全部スタッフに見せて、それぞれの持ち場で何ができるかを考えさせる。「何のためにリハーサルを見ているんだ! と言うのです」

上田によると黒澤組から小泉組に流れる伝統は「役者が主体であり、芝居を大切にすること」。俳優を枠にはめず、自然に動かす。そこにカメラをあわせる。

「例えば群衆の中の1人がしゃべっているのをアップで撮る場合も、その人は周囲を気にしながらしゃべっている。だからはみだしている人は無駄じゃない。必要なのです」。小道具のつぼ1つとっても本物を使う。「いいものが置いてあるとスタッフが丁寧に扱うし、芝居も違う。本物を扱う芝居がでてくる」と上田。

矢野正人(録音)

録音の矢野正人(54)は「黒澤さんはスタッフをよく見ていた」と証言する。

初めてついた「夢」ではさおを操るマイクマン。複数のカメラを使い、照明も大がかりな黒澤組ではマイクの位置も限られる。監督が一番いい位置におり、マイクはほとんどそこからしか出せない。おのずといつも黒澤のそばにいる。「サングラス越しに見られているのがよくわかった」

注目記事