ライフコラム

けいざい半世紀

幻の「寝台新幹線」構想 食堂車は高速化で姿消す 東海道新幹線、開業50年(上)

2014/9/8

最初の東京五輪が開催された1964年は今の日本の原型を形作る交通インフラや新サービス、新商品が産声を上げました。東海道新幹線が開業、首都高速道路の整備が進んだのもこの年です。新コラム「1964年~ ニッポンの大いなる助走」は50年前のあのころをスタートラインとして次の50年、日本が駆けていく先を読み解きます。
幻の寝台新幹線「961」のパネルを手に話す須田JR東海相談役

10月1日に50歳の誕生日を迎える東海道新幹線の歴史で、「寝台新幹線」がデビューまであと一歩に迫っていたのをご存じだろうか。

およそ40年前、博多への延伸を1975年に控えていた旧国鉄では、深夜に東京をたち、翌朝博多に着く夜行の新幹線の構想が浮上していた。それが本気であることを示すように、1両の車両が試作された。「961形試験車」だ。

試験車のベースは団子鼻の「0系」ではなく、後に東北・上越新幹線を走る「200系」に近いもの。6両編成で、寝台のほか、休憩用のサロンや食堂車が用意された。残念ながら寝台車の試作車は今は影も形もなく、写真が残されているのみだ。

64年の開業から11年、博多延伸で新幹線は転機を迎えていた。博多まで延伸すれば最長区間は東京―新大阪(約550キロメートル)の2倍の1060キロメートルになる。長時間の乗車による乗客の負担を減らせないか、旧国鉄は頭を悩ませていた。

「に」の字形の寝台設備が装備されていた(国鉄の「961形」寝台新幹線

当時、国鉄の旅客局で課長を務めていた須田寛(83、東海旅客鉄道=JR東海=相談役)が振り返る。「博多開業によって新幹線は初めて長距離交通機関に成長した。本格的な長距離列車として、列車の考え方を変えなければならない時期に来ていた」

当時の国鉄にあった「昼夜行選好曲線」という内部データによると、乗車時間が6時間を超えると乗客は夜行列車を好むことがわかっていた。延伸当時の東京―博多間は約7時間。寝台設備を準備するのは自然な発想だった。こうして「961」は生まれた。

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