2014/9/22

大ナゴヤを行く

石田さんは戦国時代の公家、山科言継(ときつぐ)の日記「言継卿記」などの史料をもとに、信長が生まれたとされる1534年当時、那古屋城はまだ信長の父・信秀の支配下になく、今川氏のものだったと指摘。信長は勝幡城で生まれたのが妥当とした。

石碑と案内板がある勝幡城址があった場所(愛知県稲沢市)

この論文発表後、勝幡城説を補強する論文が相次ぎ登場。「この10年くらいで有力となった」(石田さん)。

石田さんはもともと、平和町(現稲沢市)出身で、勝幡城説があることは知っていた。しかし、日本史を専攻していた学生時代、授業で信長の生誕地が勝幡という説をリポートで出したところ、当時の教官からは一蹴されたという。

その後大学院を経て、佐織町(現愛西市)の教育委員会に勤務。資料室にあった「尾州古城志」の写本に、信長が勝幡城で生まれたという記述があるのをみつけ、論文発表に至ったという。

駅前に展示されている勝幡城址のジオラマ

一方の名古屋側。現在も名古屋城天守閣の展示コーナーでは信長の説明に「那古屋城で生まれたと伝えられている」という一文が残る。名古屋城総合事務所の小西恒典学芸員は「今は勝幡城説が有力となっている。注記で勝幡城説を入れるなど、早期に対応したい」としており、那古屋説にはこだわりを見せていない。

もっとも、信長が勝幡城にいたのは幼少期のわずかな時期。地元の歴史を深く知るためにも、信長だけでの関心にとどまらず、「父の信秀や、勝幡城を築いたとされる祖父の信定の時代の研究が進んでほしい」と石田さんは話す。

(名古屋支社 文 小林宏行、写真 小園雅之)

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