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どぶろく、シードル… 古くて新しい「百薬の長」 東北酒紀行

2015/1/31

きれいな水に恵まれた東北地方は、おいしい酒の宝庫でもある。名高い日本酒だけではない。造り手の努力に加えて規制緩和も追い風になり、伝統も踏まえた古くて新しい名酒が各地に登場している。

どぶろく王国、秋田

仕込みを始めた秋田ニューバイオファーム(由利本荘市)

コメと水とこうじさえあれば造ることができる酒が「どぶろく」。日本では1899年から自家製造が禁止されていたが「どぶろく王国」と呼ばれる秋田県内では「しろうま」「ふくろう」などの隠語を使いひそかに造り続けてきた。政府の構造改革特区で規制が緩和され製造できるようになったどぶろくを、地域活性化に役立てようという動きが広がっている。

「田舎の料理に合うのは清酒よりもどぶろくですね」と薦めてくれたのは、秋田県北部の山間地にある宿泊施設「打当温泉マタギの湯」で製造を担当する佐藤美根子さん。イワナなどの川魚や山菜、地元食材を使った鍋などには清酒よりどぶろくが似合う。口に含むとまず酸味を感じるが、もろみの柔らかい口当たりとともに甘みが広がる。後味は意外とすっきりしている。

マタギの湯を経営するマタギの里観光開発(北秋田市)が、どぶろくの製造免許を取得したのは2006年。自家栽培のあきたこまちと森吉山系の水、白神山地で採取・分離した酵母を使い、どぶろくを製造している。「マタギの夢」と名付けたどぶろくは温泉施設で提供し、1合(180ミリリットル)450円で量り売りもしている。09年の全国どぶろく研究大会の濃醇(のうじゅん)の部で最優秀賞を受賞した。

佐藤さんは同社の2代目の製造責任者。酒造りに携わった経験はないが、秋田県総合食品研究センターの助言を受けながら製造に取り組む。地元でどぶろくを造り飲んでいるのを見て育った佐藤さんは「子どもの頃に少しだけなめたことがある味」を目指す。

安定した同じ味が大量に求められる清酒の酒蔵と違い、どぶろくは少量生産でよいため、試行錯誤しやすいのも利点だ。

新しい味模索

秋田県南部の海岸沿いに位置する由利本荘市でハーブ園やブドウ園、地元食材を使った飲食店や食品加工を手掛ける秋田ニューバイオファームは、新しい酵母を使った商品開発に挑戦している。

昨年1月に北秋田市で開いた全国どぶろく研究大会のコンテストには、100を超える銘柄が参加した。同社の製造責任者を務める工藤由佳さんは「コクがあり、甘みもあるものが多かった。どぶろくの進化の度合いに驚いた」と話し、新たな商品に意欲を示す。

地元の料理と一緒に楽しむどぶろく(北秋田市の打当温泉マタギの湯)

同社は09年に製造免許を取得し、自家栽培のひとめぼれと鳥海山の伏流水を使った「鳥海恵」を製造、12年のどぶろく研究大会の「淡麗の部」で優秀賞を受賞した実績がある。今、目指しているのは「香りがよく品があって、飲みやすい味」(工藤さん)の実現だ。

秋田県はどぶろく造りが認められていなかった昭和初期に、密造の年間摘発数が全国の3割を占めたとの逸話もあり「どぶろくの本場」を自負している。全国で約140あるどぶろく特区のうち、県内では11市町が特区認定を受けている。

しかし、実際に製造免許を取得しているのは7事業者にとどまる。免許を取得して製造を始めたものの、休業や撤退した例もある。

製造免許が取得できるのは民宿や飲食店を営む農家に限られ、専用の醸造設備の整備やコメの自家栽培といった要件が課されている。瓶詰めや酒販の免許がなければ、量り売りなどに制限される。原料の使用量や比率など国税局に子細な届け出が必要なため、免許申請に二の足を踏むケースも多いという。

秋田ニューバイオファームの鈴木幸夫社長は「地域を活気づけるには特区内に1社では足りない。切磋琢磨(せっさたくま)できる仲間がいて、付加価値を高めていきたい」と新規参入者を待望する。

青森りんごをお酒に

特設売り場を設けて観光客にシードルをアピールする(青森市のA‐FACTORY)

青森県でリンゴを原料にした発泡酒「シードル」の醸造に新たに乗り出す動きが広がってきた。大企業も後押しし、大人が楽しめる名産に育てようとしている。

農業生産法人のタムラファーム(弘前市)は14年12月、旧鉄工所を改築した自社醸造所でシードル生産を始めた。同年10月に酒造免許を取得したばかり。初年度は3キロリットルを生産する。弘前市は酒造免許の最低製造数量基準を年間6キロリットルから2キロリットルに緩める「弘前ハウスワイン・シードル特区」を国から14年3月に認定された。同社は同特区で酒造免許第1号だ。

田村昌司社長はリンゴ生産と並行してジュースなどの加工品も手がけてきた。だがシードルは「(ブドウの)ワインに所詮かなわない」と懐疑的だった。たまたま訪れた京都府のワインメーカーで試飲したシードルが「大人の味わいでこれならワインとすみ分けできる」と考えを変えた。

将来は自社醸造を初年度の6倍の18キロリットルに増やしたい考えで、田村社長は「夏のビールのようにジョッキで飲むようなシードルを目指したい」と話す。

シードルの街

弘前市は「シードルの街」と銘打ち地元産リンゴでつくるシードルを名物にしようとしている。特区はその一環。市は「多くの醸造者が特徴ある商品を追求してリンゴ産業が活性化するのはとてもいい。シードルは有力な観光資源にもなる」(行政経営課)という。

市の後押しで14年に参入したもう一人の人物がリンゴ農家の高橋哲史氏だ。市りんご公園の一角に醸造所を建設し、4月から生産を始めた。

高橋代表は02年ごろに実家を継いで就農した。そこでは手をかけて栽培したリンゴがひょうで少し傷ついただけで埋設処分せざるをえなかった。生食用では売れないリンゴの有効利用だけならジュースにすればいい。シードルに注目したのは「人々がリンゴ畑に足を運び、酒を飲みながら歓談する」世界をイメージしたからだ。

大企業も応援団になり始めた。駅ビルを運営するJR東日本青森商業開発(青森市)は10年に青森駅前に開業した商業施設に醸造所を併設しシードルの製造販売を始めた。さらに企業や行政を巻き込みあおもりリンゴ酒推進協議会を設立。14年8月には、県内で生産されたシードルやリキュールなどリンゴのお酒のグランプリを開いた。

青森商業開発の飛嶋聡社長は「地域貢献はJR東日本の使命」と話す。東北新幹線の新青森開業に合わせて何ができるかを検討し、シードルに白羽の矢を立てた。JR東日本は首都圏で沿線の特産品を販売する産直市を開いている。飛嶋社長は「JRのネットワークを使いシードルを飲む文化を広げたい」と意気込む。

ニッカウヰスキーは1960年に弘前市でシードル醸造を始めた老舗だ。弘前工場は現在も同社のシードル生産を一手に手がけている。戸田貢司工場長は「シードルの全国的な知名度はまだ低い。青森で多くの参入者が現れて盛り上がればうれしい」と話している。

岩手、老舗地ビールの復活

盛岡市のビアレストラン「アリーブ」では銀河高原ビールが看板メニューの一つだ

1994年のビール業界の規制緩和から20年。当初は全国各地に地ビールが誕生したが、多くはブーム終息と共に泡のようにしぼんだ。銀河高原ビール(岩手県西和賀町)もその一つだ。国内有数のブランドに育ちながらも過剰投資で会社を清算。だが身の丈に合った規模で再出発してからは、こだわり客の期待を裏切らない商品づくりに徹し、再び復活しつつある。

「ビールは水、麦芽、ホップ、酵母のみで造る」とドイツのヴィルヘルム4世が16世紀に定めたビール純粋令をかたくなに守っているのが銀河高原ビールだ。創業前の視察で1週間に80種類ものビールを飲み比べ、たどりついた南ドイツのヴァイツェン(小麦)ビールの個性的な味を再現するため「米やコーンスターチは一切使わず小麦やホップは全量ドイツから輸入して」(坂進工場長)つくっている。

ビールにはエール(上面発酵)とラガー(下面発酵)がある。銀河高原ビールは前者だ。フルーティーな香りを持ち、特にヴァイツェンはバナナに似た甘い香りが特徴だ。苦みが少ないため女性ファンも多い。泡に刺したマッチ棒が立つほどに泡持ちもいい。麦芽を煮出す温度や酸アルカリ濃度などの研究を重ねて「理想の泡」を生み出した。

最も気を使うのは「ビールを熟成させる2次発酵の温度管理」という。24時間体制で監視する。酵母は生き物。同じように管理していてもタンクごとに状態は異なる。「赤ちゃんの面倒を見るように常に気にしていてあげないと、急に気分を害したかのように発酵が止まったり、逆に寝た子が起きたようにグングン進んだり、息が抜けない」

ドイツに似た気候

創業は96年。盛岡市に東日本ハウスを創業した中村功氏が、冷涼な気候が南独に似た旧沢内村(現西和賀町)の村おこしも兼ねて地ビール造りに乗り出した。折からのブームに乗り、数年で阿蘇(熊本県)など全国に3工場を増設し、2000年には年産1万キロリットルの全国ブランドに成長した。

ただメーカー乱立による粗製乱造も目立ち、地ビールブームは一気に去った。銀河高原ビールも積極投資がたたり05年に会社を清算。「もう一度足元を見直し、身の丈に合った理想のビール造りを目指そう」と、岩手以外の3工場を閉じて再スタートを切った。

1千キロリットルを切った年間生産量も13年は2千キロリットルに回復。「コアなファンが離れずにいてくれたことが大きい」という。全国に約70店ある飲食店「世界の山ちゃん」では全店で銀河高原ビールが飲める。ローソンやダイエーなども積極的に扱う。三陸鉄道は14年夏「飲み放題列車」を3日間運行、すべて満席で約120人が300リットルを飲み干した。

純粋令公布から約500年。最近は再び地ビールがブームだが「我々は愚直に“本物”にこだわりたい」(坂工場長)。それが「とりあえずビール」から「私は銀河高原ビール」と選ばれるビールになる鍵だと確信している。(曽我真粧巳、森晋也、増渕稔)

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