強烈発酵臭 琵琶湖のふなずし
豊富なうまみがクセに
滋賀県の発酵食品「ふなずし」は、日本酒に良く合う珍味だ。「すし」といっても江戸前の握りとは全く違う。なれずしの一種で、琵琶湖にしか生息しないニゴロブナの子持ちのメスを塩漬けにし、炊いたご飯とともに半年以上、たるの中で発酵させたものだ。薄くスライスして食べる。強烈な臭いを放ち、初めての人は顔をしかめることも。だが、なじんでしまえば病みつきになるほどおいしい。
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3月上旬の週末。彦根市の料理店の大広間で市民団体が主催する、年1回のふなずしの品評会が開かれた。家庭で漬けた39品が出品され、約60人が味の良しあしを6段階で評価した。会場は発酵食品が放つ独特の臭いが充満する。ブルーチーズのような、という表現が近いかもしれない。
出品作を食べてみた。最初に口にした作品は酸味が強い。茶色っぽい卵はつぶつぶの食感が楽しめる。身はこりこりしているが、ゆっくりかむとうまみが広がる。次に箸を伸ばしたものは、一転して全体がまろやかで食べやすく、甘みすら感じる。一皿ごとの味の特徴はまちまちだ。
過去には「予選で評価が低かった作品が決戦で上位に入ったこともある」(主催団体代表の西岡信夫さん=75)。それだけ味のばらつきが大きい。これは、ふなずしの作り方に理由がある。大津市の専門店「阪本屋」の内田健一郎社長(56)に作り方を聞いた。
春になるとニゴロブナのメスは琵琶湖の水深の浅いところに移動し、川を上り田んぼで産卵する。このときにフナを捕らえ、ウロコや内臓を除き、たるで塩漬けにする。
これを夏に取り出し、いったん水で洗った後に、腹にご飯を詰める。たるの底にご飯を敷いてその上にフナを並べる。その上にはまた、ご飯を敷く。フナとご飯を交互に重ね、たるの上の方まで積み上がったら、ふたをして重しを載せて水を張る。「空気を遮断して雑菌を入れないため」だ。
ふなずしを作るのは乳酸菌だ。発酵することでうまみが出る。蔵の空気中やたるなどに存在する乳酸菌に任せるのが特徴だ。漬けた後は水の管理や室温の調整をする程度だ。専門店でも「どんな味になるかは完全にはコントロールできない」(内田社長)という。だから、家庭で漬けるふなずしの味は個性的になる。
ふなずしは一匹3千円くらいから売っている。あらかじめスライスしたものもあり、阪本屋のお試しセットは10枚で1836円だ。
ふなずしには千年以上の歴史がある。滋賀の食文化に詳しい京都華頂大学の堀越昌子教授(69)によると、コメ作りが盛んなアジアのモンスーン地帯で川や湖の魚をコメとともに漬けた発酵食品がルーツだ。
ふなずしは「乳酸菌やたんぱく質、ビタミンを含み、常備薬の性質も持っていた」(堀越教授)。かつては腹痛や風邪のときによく食べた。今では来客があったときや、正月などに食卓に上ることが多い。とはいえ、滋賀県でも「ふなずしは臭くて、とても食べられない」という人も増えている。本当のおいしさを知ってもらおうと、新しい食べ方を提案する専門店もある。
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琵琶湖の北部、桜の名所として知られる海津大崎を望む、高島市の専門店「魚治」は料亭「湖里庵(こりあん)」も営む。名物の懐石料理の中の一品、天ぷらを食べてみた。
2年漬けたふなずしの切り身を衣が挟む。食べてみると、ふっくらした衣の陰から、上品な酸味を含んだふなずしが少しずつ、顔を出すようだ。加熱したことで味がまろやかになる。切り身だけを口に放り込む食べ方に比べ抵抗がなく、味わいも深い。
湖里庵ではふなずしの切り身をチーズで巻いたものやパスタも提供する。左嵜謙祐社長(39)の夢は「単なる珍味ではなく、家庭で食べられる日常の食材として定着させる」ことだ。
最後にもう一品、お茶漬けをいただいた。ふなずしをくずし、ご飯とお茶に混ぜ、少し待つ。酸味と塩分、うまみが溶け出し、絶妙の味だ。実は左嵜社長、内田社長、堀越教授に聞いた「そのまま食べる以外においしい食べ方は」との問いへの答えは3人とも「お茶漬け」。好みによって少し塩やしょうゆを加えてもいい。シメはこれしかない。
琵琶湖に浮かぶ国内唯一の湖の有人島、沖島で漁師がふなずしの作り方を指導する体験クルーズの人気が高まっている。琵琶湖汽船(大津市)が2009年から毎年夏に実施。参加者は自らが漬けたふなずしの冷凍の真空パックを年末に受け取れる。15年は319人が参加した。県の水産課の職員も乗り込み、ふなずしについて解説する。
湖岸の開発や外来魚の増加などで1990年ごろからニゴロブナの漁獲量が減った。県は稚魚の放流などに取り組み、近年は漁獲量減少に歯止めがかかっている。
(大津支局長 広谷大介)
[日本経済新聞夕刊2016年4月19日付]
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