日本語を作った男 山口謠司著言葉の近代化に尽くした人々

今、私たちは、なんでもないことのように「口語」を話し、かつ「口語文」を書いている。あまりに当たり前のことなので、そのことを意識することは通常ないけれど、実は僅々(きんきん)百年あまりの昔には、これらのことは決して当たり前ではなかったのだ。相互に理解不能な方言、身分の上下による違い、男女の別、それに書き言葉と話し言葉の決定的乖離(かいり)と、明治になる前の日本語は、まさに混とんたる様相を呈していたのである。

(集英社インターナショナル・2300円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

そこで、仮に富国強兵と唱えたところで、薩摩弁の上官の命令を津軽の兵隊がまったく理解できないのでは話にならぬ。その意味で日本の近代化に当たって、まずはその根幹の言葉が改革されなくてはならなかった。

本書は副題に「上田万年とその時代」とあって、上田万年という言語学者を通貫する縦軸に置き、彼とその時代の人々が、どのように「口語」の創造のために格闘したかという歴史的な跡付けを試みた書である。

上田万年は、慶応三年(一八六七年)、すなわち明治維新のまさに前夜に生を享(う)け、明治政府が近代化に向けて試行錯誤しつつあった明治前期に人となった。そうして、イギリスの言語学者バジル・ホール・チェンバレンに、東京大学で博言学(今でいう言語学)の教えを受け、以後一生を日本語の研究とその近代化に尽くした人である。(が、そんなことは多くの現代人はまったく知らないにちがいない)

しかし、言葉の改革は、そう簡単ではない。それは、不可避的に政治的な問題でもあり、文化と文化の衝突でもあった。

守旧派の頭目としての森鴎外が、いかに上田らの近代化の努力の行く手に立ちふさがったか、そのあたりの叙述は、一読興味津々たるものがある。これと対峙するのが夏目漱石の「近代」で、しかしやがては漱石のほうに軍配が上がったことは、歴史がこれを証明しているであろう。この本のなかにリアルに描かれている鴎外の非常な独善性と権威主義など、ちょっとした「目からウロコ」というものである。

かかる極端な異見のせめぎ合う時代に、万年がいかにして日本語を近代化するために渾身(こんしん)の努力を傾けたか、それを夥(おびただ)しい史料を駆使しながら通覧したのが本書である。今これを通読するに、まさに博引旁証(ぼうしょう)、鬱然たる森のような文献に埋もれて、結果として、万年その人の活(い)き活きとした人となりまでを描き切ったとは言えぬ憾(うら)みはあるが、少なくとも日本語と日本の近代史に興味のある人にとっては必読の史書と言うべきであろう。

(作家 林 望)

[日本経済新聞朝刊2016年4月10日付]

日本語を作った男 上田万年とその時代

著者 : 山口 謠司
出版 : 集英社インターナショナル
価格 : 2,484円 (税込み)

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