戦争と一人の作家 佐々木中著
安吾からファルス、戦争論へ
言うまでもなく、坂口安吾は今なお愛読者、信奉者の数多い、日本文学史上、日本思想史上の巨人である。ところが、にもかかわらず、安吾という存在のイメージは、ひとつの明確な像をなかなか結ぶことがない。これまで数多(あまた)の安吾論が書かれてきたが、それぞれに卓見や発見を含みつつも、しかし肝心要のところで、坂口安吾とは如何(いか)なる作家であったのか、いや、安吾とはわれわれにとって何者なのか、という問いを、誰もが取り逃がしてしまっているように思える。そして、そのこと自体が、安吾の特殊さであり、何とも厄介なところなのだ。
フランス現代思想の独創的な読解者であり、特異な文体を操る小説家でもある著者は、安吾研究の先行者たちが陥ってきた罠(わな)を回避するのではなく、むしろ敢(あ)えて自ら、より大胆に罠へと飛び込んでみせることによって、新たな安吾像を提示しようとする。キーワードは「ファルス」と「戦争」である。ファルス=FARCEは安吾が繰り返し持ち出した概念で、「笑劇とも茶番とも道化とも訳され」、また「戯作」とも同義とされる語だが、著者は丁寧な読みを通して、安吾のファルスの定義を再確認するところから始める。「ファルスは万人を笑う、そのことによって万人を笑わせるのだ」。そして次の問いを投げかける。「果たして、坂口安吾はファルスを書き得たのか」
この問いは、こうも言い換えられる。果たして、坂口安吾は安吾自身を笑うことが出来(でき)たのか。「吹雪物語」「文学のふるさと」「イノチガケ」「桜の森の満開の下」といった有名作を矢継ぎ早に経巡りながら、やがてファルスの問題は、もうひとつの鍵である「戦争」へと結びついていく。著者は高名な「日本文化私観」の陰に隠れた戦中、戦後の安吾の文章群、とりわけ「特攻隊に捧ぐ」と題された小文に注目し、安吾の戦争観、とりわけその特攻隊賛美に宿る矛盾と亀裂を抉(えぐ)り出していく。その理路は、容赦なく安吾を追い込んでいくかにさえ見える。実際、この本は最後の最後のその手前まで、坂口安吾批判と呼んでいい内容となっているのだ。
ところが、である。最後の最後に至って、著者は風向きを変動させる。そこで鍵となるのも、ファルスの一語である。先の問いは、いわば次のように逆転される。それでも安吾がファルスを書いたのだとしたら、そこでのファルスの定義とは何なのか。
付論として『はだしのゲン』を論じた「ゲン、爆心地の無神論者」が収録されている。つまりは本書は「戦争論」でもある。
(批評家 佐々木 敦)
[日本経済新聞朝刊2016年4月10日付]
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