増配めぐり新浪氏と大激論
日本ケンタッキー・フライド・チキン元社長 大河原毅氏
日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)創業時のメンバーで、3代目社長を務めた大河原毅氏の「仕事人秘録」。上場から社長退任までの10年余り、こんなことがありました。
1990年の上場は成功したが、その前後では大株主との葛藤があった。
米本社はさらなる成長を要求して、年間で50店を新規出店する契約にサインをしろと迫ってきました。もしサインをしていればその見返りに相当数の日本KFC株を譲渡してもらえたはずです。でもこっちは八分目経営です。契約は突っぱねました。怪訝(けげん)な顔をされたのを覚えています。私は日本KFCの社長だけでなく、米本社の上級副社長として極東支配人を任されていました。米国流のドライな手法に嫌気が差していたので上場を機に米本社の役職は降りました。
もう1つの大株主、三菱商事は上場時の新株発行でお金ができたのだから「増配してほしい」と要求してきました。現在、サントリーホールディングス社長の新浪剛史さんが三菱商事の外食事業の担当のころの出来事です。新浪さんと大激論を繰り返す日々です。そのことが外部にも伝わって「2人は犬猿の仲」と言われた時期もあります。しかし、それは会議室だけでのことです。新浪さんには三菱商事の代表、私には会社や従業員、加盟店を代表する立場があっただけでのことで、彼とは今でも親交があります。
三菱商事からは優秀な社員も出向してくれました。女性に人気のスープ専門店「スープストックトーキョー」は遠山正道さんが日本KFCの出向時代に開発した業態です。彼が作成した事業計画書を読んで「面白そうだからやってみたら」と背中を押しました。彼の感覚はすばらしく、独立を勧めました。約160のブランドを持つ多業態レストラン、クリエイト・レストランツ・ホールディングスの岡本晴彦さんも同様です。