自ら農場、「ハーブ鶏」育む
日本ケンタッキー・フライド・チキン元社長 大河原毅氏
日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)創業時のメンバーで、3代目社長を務めた大河原毅氏の「仕事人秘録」。今回は養鶏や新規事業に取り組んだ1980年代を振り返ります。
おいしいチキンのために鶏肉作りにも乗り出した。
1980年代は外圧によって閉鎖的な日本市場の開放が求められた時代です。農業、畜産業も例外ではありません。これまでお世話になってきた国内の養鶏業者のお役に立てばと考えて、自らも養鶏に乗り出すことにしました。阿蘇、御殿場、旭川などいろいろと見て回りましたが北海道八雲町の内浦湾を望むすばらしい景色に「ここだ」と一目ぼれ。北海道の加盟店の伊藤組や札幌五輪スキージャンプの銅メダリストの青地清二さんなどの縁にも助けられて名古屋出身の地主さんとの話し合いがまとまったのです。ケンタッキー・フライド・チキンの1号店が名古屋だったのも不思議な縁です。
「ハーベスター・八雲」開場25周年記念式典にて八雲町の皆さんと
そこはケンタッキー州ルイビルにある米本社の風景によく似ていました。自分が幼年期に住んでいたような洋館を建てたいという気持ちが抑えきれなくなっていました。1988年9月「ハーベスター・八雲」と名付けた実験農場の始まりです。広大な敷地を白柵で囲い、日本で最初の養鶏犬を使った鶏の放し飼いです。ハーブ農園も作ったら鶏はハーブを好んで食べます。その鶏の糞(ふん)は臭いもなく、肉を食べるととてもおいしいことがわかりました。複数の飼料メーカーの協力も仰ぎ、「ハーブ鶏」の商品化に取り組んだのです。パテントも取らず飼料メーカー、養鶏業者に知見を活用してもらっています。
80年代は鶏を軸に新規事業も手掛ける。
ケンタッキー・フライド・チキンは一定のサイズの大きさの鶏肉を使いますから、規格から外れた鶏肉の有効活用を考えました。今後、高齢化が進むためフライだけでは限界があると判断したのです。総菜店のほかフライド・チキンの規格に合わないサイズの鶏を使い焼き鳥店、串焼き店などの展開を始めるようになりました。