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高鳴る鼓動、リズム即興 紀元前から続く南インド音楽 竹原幸一

2016/4/4付 日本経済新聞 朝刊

師(右)と共演する筆者(左)(2010年、チェンナイ)=写真 井生 明

ヒンドゥー教の読経をルーツに持ち、歌に太鼓や口琴をパーカッションのように合わせる南インドの古楽「カルナータカ音楽」。日本ではシタールを使う北部の古典音楽の方が有名だが、インドではそれと双璧をなす。私は現地で著名な奏者に弟子入りし、修業を積んでいる。

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■本場チェンナイで修業

初の海外旅行先にインドを選び、旅立ったのは2002年、24歳のときだ。東京で生まれ育ち、中学生のころから妹尾河童や沢木耕太郎、ミュージシャンの大槻ケンヂ、インド研究家の伊藤武といった人々の本を読んで、ぼんやりとインドに憧れていた。運送業などの仕事でためたお金で長期滞在を計画。北部のバラナシを拠点に1年ちょっとインドに滞在した。

カルナータカ音楽を教えてくれたのは、コルカタの安宿で知り合った日本人写真家、井生明さんだった。カルナータカ音楽の古い記録は紀元前にさかのぼる。16世紀に大衆化し、18世紀半ばにバイオリンが取り入れられて今の様式が確立した。

その魅力を語る井生さんの言葉にひかれ、たまたま開かれていた音楽祭で生演奏に触れた。聴いたことのないリズムが、早さやパターンを複雑に変えながら展開する音楽に魂を揺さぶられた。

いったん帰国して再びお金をため、本場チェンナイで口琴や太鼓の修業をしようと決心した。03年、井生さんの紹介で、グラミー賞も受賞した大御所、ヴィックゥ・ヴィナーヤクラーム師の門をたたいた。師が校長を務めるチェンナイの音楽学校に入学し、同時に個人的にも弟子入りした。

師の家の近くに4畳半くらいのアパートを借り、学校に通った。カルナータカ音楽の特徴は、なんといっても複雑なリズムにある。打楽器にしろ口琴にしろ、演奏に使う楽器の音を出すのは難しくない。大事なのはリズムを習得することだ。

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■楽譜なし口伝で伝承

西洋音楽のように16拍子だったら4拍子を4回繰り返す、というのではなく、例えば4、2、4、2、4というようにリズムが複雑に展開する。歌は同じ歌詞を繰り返すだけだが、曲が進むにつれてリズムの組み合わせはさながら宙に模様を描くように変化していく。

歌にあった最適なリズムを瞬時に演奏する即興が基本なので、何千とあるリズムのパターンを習得し、いかに正確に、美しく刻むかが腕の見せどころだ。1曲2、3分で終わる場合もあれば、長いと数時間かかる演奏も珍しくない。かつては3日間続けた例もあった。

楽譜はなく、すべて口伝で継承する。唱歌(しょうが)という、口三味線のような方法だ。稽古のときは師とあぐらをかいて向かい合い「タキタ タカ タンカタン」といったフレーズを、手拍子を打ちながら師の後について覚えていった。

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■在日インド人に教える

ひとりでアパートでも稽古するが、暑いときは気温は40度を超え、虫と闘いながらの演奏となる。学位を取得し、師からステージに立っていいとお許しが出たのは3年ほどたったころ。その後は、師についてインド各地を演奏して歩いた。

私は主にモールシンと呼ぶ口琴を演奏する。パーカッションの役割を担う。金属の板を唇にあててはじき、口の中の空間で音を響かせる。演奏中によく板が割れるので、10本ほど持ち歩く。1本のモールシンからは1種類の音しか出ず、曲によって音程の違うモールシンを選ぶので、全部で300本ほど所有する。ほかに両面太鼓のムリダンガムやトカゲ革のタンバリンなどもたたく。

モールシン奏者の竹原幸一さん

芸事の世界の師弟関係は日本もインドも同じだ。突然電話がかかってきてコピーを頼まれたり、かみたばこを買いに行けと言われたり。いまでも年に2~3カ月はインドに滞在し、演奏会場に楽器を運んだり、演奏中の舞台裏に控えて水を差し出したりと弟子の務めを果たしている。

3年ほど前からは生活の拠点を日本に戻し、在日インド人らに個人指導をしてきた。このほど師から任命され、チェンナイの音楽学校「日本校」を開くこととなった。当面は、私が生徒の家に出向いて教えるかっこうだが、いずれは決まった場所に教室を持ちたい。

今月は師が十数年ぶりに来日、8、16日に東京で、12日には浜松で公演を開く。私も出演する。インドの歴史とともに歩んだカルナータカ音楽の鼓動を、多くの人に肌で感じてほしい。

(たけはら・こういち=モールシン奏者)

[日本経済新聞朝刊2016年4月4日付]

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