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仕事人秘録セレクション

ハーバード留学仕込みの米国流  和魂洋才の八分目経営(14) 日本ケンタッキー・フライド・チキン元社長 大河原毅氏

2017/4/7

 日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)創業時のメンバーで、3代目社長を務めた大河原毅氏の「仕事人秘録」。米本社と対等に渡り合うビジネススキルを身に付けるため、米国に留学します。

 海外留学の準備中に妻となる愛子さんと出会う。

 1979年ころだと記憶しています。私をケンタッキー・フライド・チキンの世界に導いてくれたロイ・ウエストンさんが主催するパーティーで英語を流ちょうに話す女性を見かけました。それが愛子です。父親は米軍関係の仕事をしていてペプシの日本法人設立にも深く関わった人物です。フードビジネスも手掛けていて、愛子と私は自然に意気投合、上智大学にある海外留学のためのコースに一緒に通うようになっていました。

ハーバードで米国流の経営や思考の方法を学ぶ

 私の留学先はハーバード・ビジネス・スクール、日本KFCの産みの親の1人、相沢徹さんもここのOBです。愛子は通訳の仕事があったので単身で渡米です。時間を作ってボストンに来てくれたのですが勉強が忙しくなかなか相手をすることができず申し訳なく思いました。

 ハーバードでは米国流の経営や思考の方法を学びました。その後の人生の財産になったのは間違いありません。ただ傾倒するのではなく、米国人と対等に議論できるスキルを身につけることに力を入れました。

 帰国後、84年に社長就任。40歳だった。

 実はそのころまで私の名前は大河原伸介でした。本名は今の「毅」なのですが、大学卒業のころに占師に相談すると「あなたは名前負けしている」と言われたのです。確かに幼い頃からよくないことが多かった。納得しました。ただ、問題は新しい名前をどうするかです。占師が「資(たすく)と伸介のどちらかだ」というので、そのころ(67年)、お茶の間で人気のお笑いグループ「てんぷくトリオ」のリーダー、三波伸介さんにあやかって、伸介に改名です。カーネル・サンダースさんも私のことを「シン」と呼んでいました。

 不思議なことに日本KFCの立ちあげ直後の苦労を除けば確かに運気は上昇しました。親からもらった名前に戻そうと占師に相談すると「いいでしょう」と。

 日本での事業は順調だったが米本社の経営体制は目まぐるしく変わった。

 経営の主体は82年に酒造会社のヒューブラインから、たばこ会社のR・J・レイノルズ、86年には飲料のペプシコに移りました。ヒューブライン時代の米本社の役員会議にはウイスキーの香りが、レイノルズ時代はたばこの煙で充満していました。

 この米本社の経営権の移行期を突いて日本事業を強化しました。店舗改装などを積極化して投資負担を大きくして業績を一時、意識的に落としたのです。でも前向きな投資なので翌年からはV字回復です。

 こんなことを言って、米本社の首脳を持ち上げました。「米本社の経営が変わると日本もよくなりました」。相手は喜んでくれるのは当然です。こんな便法が身についたのも米国留学のおかげかもしれません。あの手この手で日本の独自性を維持しました。

[日経産業新聞2016年4月4日付]

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