軽薄 金原ひとみ著壊れることで満たされる感情

表題である軽薄という言葉の厳密な意味が知りたくなった。一般的にも、本作でも、ネガティブに用いられている文字だけれど本当はそうじゃないのではないか。辞書をめくったら、やはりネガティブな意味。それでも納得できないほど、金原ひとみが示す「軽薄」は意味通りに感じられない。主人公が自身の軽薄さを受けいれることにより、うつろわない曇天みたいな日々に射しこむ光があるという印象を受けたから。

(新潮社・1400円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

主人公のカナは激しい恋愛の末にかつて愛していた男から刺されてしまう。逃げるようにイギリスへ留学し、夫となる男性に出会い、家庭を持ち、子供を授かり日本へ戻る。一見、不自由ない生活のなかでカナは圧倒的に欠落している。自分の感情の足らなさに直面する。日々に対しての感情や感覚が希薄なのだろう。そこへ、アメリカから戻った甥(おい)に再会し関係を持つことで少しずつカナの生活が壊れていく。壊れていくいっぽうで、圧倒的な欠落が満たされていく。

わたしには守るべき子供はいないし家庭もないが、読んでいてひたすら共感した。多くの読者が感情移入する要素が描かれている。刺されるほどの事件ではなくとも、苛烈な恋愛経験を持つ人は多いのではないか。抱いている疑問符に気づかないふりをしながら日常を過ごしている人も多いのではないだろうか。

カナの劇的な変化は、大人のあるべき姿を保っていた人間が本来の姿に戻っていくプロセスだと感じる。それって素直になることなのだろう。素直さを教えてくれたのが若い甥なのだけれど、それは若さだけが理由ではなく、てらいなく生きている甥の姿はカナにとって、無理にお行儀良く生きている歪(いびつ)さに気づかせるものだった。その歪さの対義語として軽薄の文字が描かれ、カナは軽薄に生きる。

軽薄という言葉はあさはかさを表すが、あさはかで慎重さに欠ける人は実直で嘘がない。想(おも)いをあらわにすることがおしなべて悪いことだとは思えない。カナは想いのやり場を失っていたのではないか。そもそも大人のあるべき姿とは誰が決めるものなのか。

ならば、やはり題となっている軽薄の意味を探ってしまう。何が軽薄か。カナが、人々が、社会が軽薄なのだろうか。軽薄さを自覚したうえで必死に生きて進もうとするならば、軽薄をマイナスの意味だけでとらえることはできないし、そのような問いを投げかけた小説に思えて仕方ない。これはあらゆる人々が主人公に成り得る愛(いと)おしい物語だ。

(詩人 三角 みづ紀)

[日本経済新聞朝刊2016年3月27日付]

軽薄

著者 : 金原 ひとみ
出版 : 新潮社
価格 : 1,512円 (税込み)

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