アート&レビュー

ブックレビュー

武満徹・音楽創造への旅 立花隆著 「文化」が輝いた戦後昭和の記録

2016/3/27付 日本経済新聞 朝刊

驚くべき本である。七百ページを超える書物をこれだけ夢中になって読み通したのは久しぶりだ。戦後昭和を代表する現代音楽の作曲家に、偉大なジャーナリストが行った通算百時間近くに上るというインタビュー記録。満州での幼少時代、敗戦直後の闇市の世界、肺病に侵され死と向き合っていた青春、大阪万博の輝き。瀧口修造や谷川俊太郎といった文学者、黒澤明をはじめとする映画監督(武満は無数の映画音楽を書いている)、寺山修司、黛敏郎、勅使河原宏、さらには加古隆や井上陽水や小室等らとの交友関係。この本は一種の自伝であると同時に、そのままきらめく昭和文化史のドキュメンタリーになっている。

(文芸春秋・4000円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

それにしてもこれほど多種多様な話題を次々に引き出す立花の凄腕(すごうで)には恐れ入る。隠す気がなくとも、尋ねられなければ言わないこと、思い出さないことというものが、人にはある。立花のインタビューは決して「ああそうですか。」で終わらない。必ず「じゃあこれはどうですか?」「でもあれがありますね?」が続く。よほどの下準備がなければこうはいかない。しかもフィールドは前衛音楽だけでなく、映画や文学や美術にまで及ぶ。おまけに立花は名前の出る関係者の多くにもインタビューを行い、徹底的にウラまで取っている。

圧倒されることはまだある。音楽を専門としない者がこうしたインタビューをする場合、土俵を文化史一般に引き移すことにより専門知識の不足を補おうとする誘惑は小さくないはずだが、立花はこの本の焦点を現代音楽の創作のど真ん中、つまり「調性」の問題に持ってくるのだ。伝統的なヨーロッパ・クラシック音楽の語法の柱である「ドミソ」の和音と「ドレミファ……」の音階に対して、現代の日本の作曲家としてどう対決するのか。受け入れるのか否定するのか。日本的なものへの回帰をよしとするか否か。旋法、対位法、十二音技法、ソナタ形式、偶然性といった専門タームが容赦なく飛び交う領域に、立花は平然と踏み入り、それでいてダイアローグはまったく破綻を見せない。

それにつけても戦後昭和というのは、「文化」というものが比類なき輝きを放っていた時代だったのだと、改めて思う。闇の中で行く手を照らす灯台のように、数多(あまた)の人々がそれに惹きつけられた。さも当然のように精神的な価値を物質的それの上位に置いた。一体どこでどう間違って私たちは今日における「文化の没落」を招いてしまったのか? この本が突きつけてくる究極の問いはそこにある気がしてならない。

(音楽学者 岡田 暁生)

[日本経済新聞朝刊2016年3月27日付]

武満徹・音楽創造への旅

著者 : 立花 隆
出版 : 文藝春秋
価格 : 4,320円 (税込み)

アート&レビュー 新着記事

ALL CHANNEL