縄文住居を石器でコツコツ 能登半島で復元目指す雨宮国広・雨宮大工代表

仲間と石斧で木材を削る筆者
仲間と石斧で木材を削る筆者

コーン、コーンと石斧(せきふ)で木をうがつ澄明な音が響く。ここは能登半島の先端に近い石川県能登町。約6000~2000年前に縄文人が暮らしていた国指定史跡の真脇遺跡だ。私は今月から仲間とともに自ら復元した石器を使って縄文式住居を建てている。

町立の真脇遺跡縄文館から依頼を受けたプロジェクト。地元の山からクリの木を伐採、加工して組み立て、土や草で屋根や壁を作る。そのほぼ全工程を石の斧(おの)やノミなどの石器を用いて実現する。来夏には完成予定だ。

ままならないのが魅力

当然だが、石器の家づくりは電気工具に比べると、気が遠くなるような手間と時間がかかる。私の肌感覚では、チェーンソーなら1日でできる作業も、石器でやると1年くらいかかる。

なぜ、そんな不便な道具を使うのか。魅力はまさに、思い通りにならないところにある。時間をかけて木と向き合い、節や木目など木のありのままの形を受け入れていくしかない。

私は1999年から山梨県甲州市で個人事業所「雨宮大工」を営み、チェーンソーや電動ノコギリなどの工具にできるだけ頼らない、手仕事による住宅建築を目指してきた。その決意は駆け出しの大工だった20代にさかのぼる。

現代のやり方に違和感

地元の工務店に入り、文化財や寺社の修復に携わった。機械がない時代の温かみのある手仕事の跡に心を揺さぶられる一方、修復材料を機械で加工する現代のやり方に違和感を覚えた。むろん工務店は利益と効率を求める。「組織にいてはできない。自分でやるしかない」と覚悟して独立した。

最初は鉄器を使っていた。斧(おの)で山から木を切り出し、鉞(まさかり)で角材にする。表面は釿(ちょうな)で整える。2005年に依頼された6畳一間の離れの家は、完成まで足かけ5年も費やした。だが不思議とストレスはなかった。むしろ電動工具を使う方がストレスを感じ「命を縮めている」とさえ思った。

ぽつりぽつりと仕事を続けるうち、07年甲府市の甲斐銚子塚古墳を復元する山梨県の事業で、木柱を鉄器だけで復元する仕事をいただいた。

鉄器よりさらに原始的な石器を使うきっかけは08年に訪れた。東京で開かれた角材づくりのワークショップで、首都大学東京の山田昌久教授と出会った。山田先生から、縄文時代の石器に使われたという蛇紋岩の原石をいただき、厚みなどを工夫しながら石斧を再現してみた。

木に打ち込んだ瞬間、鳥肌が立った。手に伝わる感触が鉄器とは全く違う。伝統工法の原点は石斧にあると感じた。蛇紋岩は比較的硬い石だが、様々な石を試した結果、石斧には海岸や川岸に転がっている何の変哲もない石がふさわしいとわかった。自然の状態で斧の形に近い物を見つけ、先を簡単に磨くだけだ。

私が使う石の道具は主に、斧、ノミ、釿の3つだ。現代の木造建築では、さらにノコギリと鉋(かんな)によって木材は直角に切られ、表面はすっきりと平面になる。石の道具で木に寄り添っていると、多少のゆがみはどうしても出る。だが正確な木組みができないかというと、そうではない。むしろ木を組む際に生まれた隙間に、クサビを打ち込むことで頑丈な家になる。

能登町での家づくりは梁(はり)や柱になる木材30本以上の加工を終えたところ。夏からは組み立てにかかる。これまで縄文時代の竪穴式住居を復元する際には、木材を縄で縛っていた。今回は、穴を作りほぞを通す伝統的な木組み工法を採用する。

学術的には、石器だけで家ができるという考え方はまだ主流ではない。大工の私も以前は無理だと思っていたが、実際に石器を使ううちに、可能だと思うようになった。

自然と共存、交流の場

あめみや・くにひろ=雨宮大工代表

作業中にこんなことがあった。日がな一日、夢中で石斧を振っていると、石の部分が割れて使えなくなった。今ならすぐに交換できるが、縄文時代は道具を作るのも一苦労。当時の人々は日が暮れる前には作業を終えて、夕飯の支度をしたはずだ。縄文の時間に合わせて時々休ませながら大切に扱わねば、道具も人もどこかで無理が生じるのだと教えられた。

各地の学者や現地の人々など主に10人程度で進めているが、プロジェクトは地域交流の場でもあり、誰でも参加できる。遺跡は富山湾と丘陵に囲まれた土地にある。完成の暁には、自然と共存し、人々の交流を促す家になることを願っている。

(あめみや・くにひろ=雨宮大工代表)

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