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日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)創業時のメンバーで、3代目社長を務めた大河原毅氏の「仕事人秘録」。今回は転職した大日本印刷で、いよいよKFCに巡り合う。

大阪万博(1970年)に出展予定の国や企業などに営業攻勢をかける。

大日本印刷での仕事は営業でした。各国の大使館に出向いて要人の来日スケジュールを聞き出し、羽田空港の入国ゲート付近で待ち伏せです。ギリシャ館の仕事はこんな手を使いました。

ギリシャ館の責任者であるハラサリスという名前は大使館から聞き出しました。顔写真は入手できなかったので、入国ゲート付近であたりをキョロキョロ。「三菱商事」の名前の入った茶封筒に「ハラサリス」とあるのに気づき、私は彼の目の動きをずっと追いかけていました。

しばらくして、彼が歩き始めたので、その数メートル先に視線を移すと白人の紳士がいました。私はすぐその紳士の前に飛び出して「ヤー、ミスター・ハラサリス」と握手、そのままタクシーに乗ってもらい、高級ホテルで商談です。

実は三菱商事は凸版印刷と組んでギリシャ館の営業攻勢をかけていました。印刷会社の社員だった私をハラサリスさんは凸版の社員と勘違いをしたのです。しかし、ビジネスはビジネスです。このことが私の日本ケンタッキー・フライド・チキンへの入社の際にひともんちゃくを起こすのですが、それは後のことです。

カナダ出張でファストフードビジネスを知る。

大日本はカナダ館や同国のブリティッシュコロンビア州の仕事も獲得しました。出し物は3D画像を使ったカナダの風景の紹介です。カメラマンと出張することになりましたが、お金がなくハンバーガー店などで食事をする日々でした。その中にケンタッキー・フライド・チキンもあり、これが私の人生を変えます。

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