大学時代の「おいしいバイト」和魂洋才の八分目経営(4)日本ケンタッキー・フライド・チキン元社長 大河原毅氏

日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)創業時のメンバーで、3代目社長を務めた大河原毅氏の「仕事人秘録」。今回は大学時代を振り返る。

学校推薦で1962年に上智大学に入学。専攻はマルクス経済学を選んだ。

上智大学を運営する上智学院と栄光学園はミッション系なので入学を許されました。高校時代、支払いを猶予してもらった月謝の一部を返済するためにバイトにも精を出しました。子供のころの裕福な生活から坂道を転がり落ち、お金のない経験をしたこともあってマルクス経済学を学ぶことにしました。早稲田大学からいらしていたカトリック教徒の岡田純一先生のゼミに入り、そこそこ勉強しているとゼミ代表に推されました。

大学時代にいとこたちと(前列左が本人)

ゼミでは会報誌「ヒック・ロードス、ヒック・サルータ(ここがロードス島だ。ここで跳べ)」を発行していて、広告を出稿してもらうため大学近くの弘済会館に出向きました。すると「君は広告の取り方がうまいし物腰も柔らかい。ここの結婚式場のボーイもやってみないか」と担当者に言われました。あれよあれよという間に白服を着せられ接客係デビューです。

うってつけののバイトだった。

結婚式はだいだい2時間程度で終わるので大学の授業勉強にもさほど支障をきたしません。しかもごちそうを食べられるのです。結婚式では時間が短いため、おいしい料理も手が付けられないうちに下げてしまうことが多い。それをこっそり頂くのです。ステーキ、サーモン、伊勢エビなどのごちそうばかりでした。

大学の体育会に所属する友人たちにも声を掛けると、来るわ来るわ。いつしか手配師のようになり、卒業するときには300人規模の学生を使う立場になっていました。こんな経験も将来、フードビジネスに携わるためのものだったのかもしれません。この時のメンバーとは結婚式が多く開かれる大安から名前をとった「大安会」という親睦団体をつくって今でも旧交をあたためています。