阪神大震災が転機、生徒数1万人目標に教室拡大
学研ホールディングス社長 宮原博昭氏(上)
神戸港震災メモリアルパーク =PIXTA
学研ホールディングス(HD)の宮原博昭社長(56)は27歳のとき、勤務地限定社員として学習研究社(当時)の神戸支社に中途入社した。
みやはら・ひろあき 1982年(昭57年)防衛大卒。86年学習研究社(現学研HD)入社、取締役を経て2010年に社長就任。広島県出身。
防衛大を卒業後、自衛官を志すもかなわず、貿易会社に就職しました。その後、使命感のある仕事をしたいと考え、教育業界の学研に入りました。
約1800人の生徒数を1万人まで増やす目標を掲げ、教室を開設する先生集めのための説明会を毎月20カ所で開きました。参加者が一人もいなかったことも3割ほどありましたが、開催1カ月前から折り込みチラシを3回入れるなどして徐々に軌道に乗せました。年に140教室つくったこともあります。
32歳で課長級の支社次長に昇進。93年に兵庫県の小学生向け全県テストの開発に乗り出す。
本社が実施する全国共通のテストはありましたが、兵庫県の教育事情にあったテストが必要だと思ったのです。テストを握れば学研の競争力を高められるとの思いもありました。学研教室だけでなく"オール学研"の連携企画にすべく学習雑誌「学習」「科学」の読者、書店を通じた受験も可能にしました。
小学生が対象で、算数と国語の2教科です。編集経験が無いため問題の作成は小学校の先生に頼みました。ただ、間違った回答に対するコメントは自分で作りました。例えば算数の場合、文章題では式と計算のどの部分を間違ったかを評価するため、問題を細かくしています。一問ずつ解答に応じたコメントを作っていくので膨大な量で大変でしたが、勉強になりました。
95年の阪神大震災の際は、社内での立場が弱く教室に対する十分な支援ができなかった。
地震発生後すぐに先生や従業員の安否確認にあたりました。震災で4人の生徒が亡くなり、3500人が通えなくなってしまいました。被災した先生も多かった。岡山や広島の支社から水やコンロといった支援物資が送られてきましたが、届け先は学習雑誌などの販売代理店が優先されました。当時、教室事業は社内の立場が弱かったからです。
生徒の授業料や先生から受け取るロイヤルティーの問題もありました。避難所から通う子供の授業料を無料にしても、先生のロイヤルティーは規定通りもらえというのが本社の当初の判断でした。本社の上司に視察に来てもらうなどして説得し、3カ月間のロイヤルティー免除を勝ち取りました。教室を立て直すため生徒と先生の支援に必死でした。権限が無いことがもどかしく、組織を動かすために高い役職を目指そうという意識がこのとき芽生えました。
1990年代前半、少子化は始まっていたものの、学習塾をはじめ民間教育業界の勢いは続いていた。学研の当時の主力事業は「学研のおばちゃん」が届ける学習雑誌の「科学」と「学習」。共働き世帯が増え在宅率が低下するなか訪問販売が振るわなくなり、屋台骨が揺らぎ始めていた。