日本文学源流史 藤井貞和著非正統の「モノガタリ」を重視

神話時代のはるか以前から現代にいたるまで、数千年のスパンで、日本語による表現の可能性、つまりは「文学」の流れを見通すこと。藤井貞和は、そのような前代未聞の試みに挑んだ。その際、藤井は意識的に「起源」という言葉を避け、「源流」を採用した。「起源」は、どうしても現在を正当化してしまう。そうではなく、水源から自然に、そして自由に表現が流れ出てくるように、文学の発生を問い直さなければならないのだ。

(青土社・4200円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

自ら破格の日本語を用いて現代の詩を書くとともに、古典作品のなかに日本語の詩的表現の可能性を学問的に探ってきた藤井にしかできない問題提起である。藤井は自身の先達として、やはり古代の研究者であるとともに現代の表現者である折口信夫の営為をつねに批評的に参照している。折口信夫の文学史を再構築することによって藤井が戦いを挑むのは、丸山真男の思想史である。丸山が中世からそれ以前に遡ることで見出(みいだ)した「古層」は、「いま」の鏡像でしかない。藤井は静かに、しかし決然と表明する。丸山が『古事記』から読み解いた「つぎつぎに」や「なりゆく」や「いきほひ」といった理念は、現在の権力の「起源」しか語っていない。

だからこそ、権力の「起源」ではなく、文学の「源流」を探らなければならないのだ。藤井が一貫して擁護するのは、『古事記』が体現しているような歴史の正統的な語りである「フルコト」ではなく、非正統的な語りである「モノガタリ」である。「モノガタリ」は「二流」であることで、実は次代の自由な表現の母胎となっていた。「フルコト」(『古事記』)を排外的に正当化した本居宣長に対する藤井の批判は鋭く、また激烈である。「フルコト」を「モノガタリ」に奪還し、「モノガタリ」として解体していくこと。

その作業は自明の「日本」を解体していくことに通じる。藤井の源流史は列島の両端、南(琉球)と北(アイヌ)を決して手放さない。外からの刺戟(しげき)によって、源流からの表現の流れはより複雑に、より豊かになる。本書の白眉は、現代詩の源流として「翻訳」を位置づけ、そこから「西脇順三郎・日本シュルレアリスム・アヴァンギャルド詩」の国際性と、「朔太郎や四季派」のローカルティという、相反する二つの流れを見出す第十六章、第十七章にある。外に絶えず開かれながらも、内から徐々に成熟していくこと。そこにこそ、「文学」のみならず「日本」が創造性を失わないための鍵が隠されているはずだ。

(文芸評論家 安藤 礼二)

[日本経済新聞朝刊2016年3月13日付]

日本文学源流史

著者 : 藤井貞和
出版 : 青土社
価格 : 4,536円 (税込み)