12世紀の源平合戦を、つぎのように語ることがある。某(なにがし)は陣形を「魚鱗(ぎょりん)」にかまえたが、某はこれに「鶴翼」の陣でむきあった、と。しかし、当時の戦(いくさ)に自軍の陣がまえをととのえる発想はない。武将がそういうことに気をくばりだしたのは、もっとあとになってから。ようやく、16世紀の戦国期から浮かびあがりだした現象である。
乱世の革命児と目される織田信長が、その新機軸をうちだしたと思われようか。しかし、そうではない。新しい軍隊行動は、武田信玄とむきあったある国人領主が、ひねりだした。それをとりいれた上杉謙信によって、みがきあげられたのだという。
『甲陽軍鑑』から読みとれる意外な茶目(ちゃめ)っ気の指摘には、笑わされた。
★★★★★
(風俗史家 井上章一)
[日本経済新聞夕刊2016年3月10日付]
★★★★★ 傑作
★★★★☆ 読むべし
★★★☆☆ 読み応えあり
★★☆☆☆ 価格の価値あり
★☆☆☆☆ 話題作だが…
★★★★☆ 読むべし
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★★☆☆☆ 価格の価値あり
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