紙ヒコーキ、宇宙をかけろ 研究重ねギネス記録
折り紙ヒコーキ協会会長 戸田拓夫
A4サイズ以下の紙1枚を折って作る「折り紙ヒコーキ」。深くかがみながら上体を反らし、体全体をバネのように使って上空へ押し出すと、飛び出した機体は気流をとらえて旋回し、やがてゆっくり下降し始める。
再び着地するまでの時間は当然、長い方がいい。私は2009年に滞空時間27.9秒を達成し、10年以上前に米国人が出した世界最長記録を0.3秒更新した。翌年にはさらに29.2秒に伸ばし、今もギネス世界記録を保持している。
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病床で200機折る
折り紙飛行機の魅力を知ったのは大学時代。登山で背骨を傷めて入退院を繰り返し、持て余した時間で折り始めた。
少しでも長く飛ばそうと、専門家の中村榮志氏の本に学んだが、書かれている通りに折ってもちっとも飛ばない。自作の機体を手に著者を訪ね、文句を言った。
作品を見た中村氏は「翼を少しひねらないとダメ」とおっしゃる。そんなことは書いていないと食い下がると、迷惑そうな顔をしつつも「次はこれで君のオリジナルを作ってきなさい」。2千枚程の紙をくださった。
その紙を使い、私は病床の中で飛行機を折り続けた。天井からぶら下げた作品を眺め、折り方や重心の位置に知恵を絞る。よく飛ぶ200種類を段ボールに詰め、約1カ月後に中村氏を再訪した。あきれられた。
その後はけがの後遺症で大学を中退し、家業の精密部品メーカーに入社。しばらく折り紙飛行機どころではなかった。
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愛好会と博物館を設立
興味が再燃したのは体調も回復した30代の時。航空機関連の取引先と折り紙飛行機の話で盛り上がり、取引先に見せようと作品作りに熱中した。
趣味が高じて1995年に愛好家団体を設立。2001年には自宅の隣に「紙ヒコーキ博物館」を開設し、自作の500点以上を展示し、子どもに折り方を教え始めた。
ギネスへの挑戦を思い立ったのは、08年の金融危機の時だ。すでに社長に就任していた。私は取締役の半減や希望退職の募集などリストラを断行。どん底の中で、あえて社員に挑戦を宣言した。社内外から批判されるのは承知の上。暗い雰囲気を変えるために、何か面白いチャレンジをしたかったのだと思う。もちろん世界記録の壁は高い。10秒も飛べば長い方で、20秒以上飛ばせるのは当時、世界で2人だけ。私も19秒が最長だった。
仕事が終わると夜な夜な紙を折る。長く飛ばすには翼が広い方がよいが、そうすると強度が落ちて高く上がらない。軽くて強い機体を求めて様々な紙を試し、最終的にサトウキビ原料のバガス紙にたどり着いた。
今までの常識をいったん捨て去ろうと、あらゆる折り方も試した。自分で折った紙飛行機が1千種類を超えたころ、何となく長く飛ぶ機体のコツが分かってきた。
そこで100種類の「基本形」を選び出し、さらに翼の端をミリ単位で曲げたり、折る角度を数度変えたり。基本の形1つに対し、それぞれ100を超えるバリエーションを試し、飛行データを取っていった。
同時に80キロ以上あった体重を絞り、しなやかでバネの効く体を目指した。空いた時間でティッシュペーパーを投げては、飛ばし方も研究した。
いよいよ09年4月。広島県福山市で開かれた大会で、世界記録を超える滞空時間を達成できた。その様子を撮影した動画が英ギネス・ワールド・レコーズに認定され、やっと世界に手が届いたと思った。
翌年には自己記録を更新したが、惜しくも30秒には届かなかった。この30秒の大台を超えるのが、現在の目標の一つだ。
もう一つの目標は、宇宙から地球に向けて折り紙飛行機を飛ばすこと。というのも、学生時代に折った機体の一つが、その頃に話題だった米航空宇宙局(NASA)のスペースシャトルにそっくりで、私は自作機を「スペースシャトル型」と名付けて宇宙船に思いをはせていた。
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NASAで折り紙教室
当時憧れた本物の宇宙を折り紙飛行機にも味わわせてやりたい。実は宇宙航空研究開発機構(JAXA)や東京大学との共同研究で、宇宙に耐えられる機体作りはできている。さらにNASAでは昨年、現地で折り紙飛行機教室を開き、同志を増やしているところだ。宇宙から放たれた折り紙飛行機が地上にふわりと着地する。そんな光景をぜひとも実現したい。
[日本経済新聞朝刊2016年2月23日付]
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