日本の歴史を探るにあたって最も信頼できるのが文書である。その時、その場にいた人が発信したことが書かれているからであるが、これも膨大な量ともなると、なかなか手に負えない。
日本の古代・中世には文書数が限られていて、ほぼ公刊されているので常に手にして読むことが可能であり、扱いは比較的たやすいのだが、江戸時代になるとそうはゆかない。膨大なために公刊されているのはごく一部分に過ぎず、しかも村に残る名主や庄屋の文書がまるごと公刊されている例はほとんどない。それだけに文書の原本調査はどうしても必要となる。
本書は、著者が信越国境地域の秋山や甲斐西部の早川などの山村、若狭多烏(田烏)や奥能登の海辺の村などに通ってのフィールドワーク調査のなかで、江戸時代から伝わる文書を調査したその体験記であり、いかに文書を調査すべきか、得られた歴史的事実をどう伝えてゆくべきかを記した調査法と研究法の提言である。
まずはフィールドワークにより古文書の調査を行う研究者が最近少なくなっていることに警鐘を鳴らしつつ、いかに所蔵者に文書を見せていただくかに始まって、多くの体験談を語る。調査に赴いたところ、訪問する直前に文書を処分してしまったという話や、襖(ふすま)の裏貼りから文書が出現した話など、日々の調査を行うなかで遭遇した実体験を記しているのが、何とも面白い。
さらに具体的な調査・整理の手順を記し、その文書から歴史をいかに読み解いて後世に伝えてゆくのかをも記し、歴史調査法のあらましを語ってゆく。所蔵者の立場を十分に理解するように努めること、多くの仲間とともに組織的に調査にあたること、様々な難しい条件をクリアする忍耐強さが求められることなど、その地道な取り組みには頭のさがる思いがする。
ただこうしたきちんとした調査を行える場合は少ないので、実情にあった調査を進めてゆくようにも心がけねばならない。江戸時代の文書は最初に調査が入ると、その後の人にはまま活用するのが難しいことが少なくなく、いわずもがなながらその後の活用につなげてゆくような工夫や配慮も求められる。
歴史というと、しばしば大きな歴史にのみ目を向けがちだが、村や町の小さな歴史からも多くのことがわかってくる。過疎化によって消滅寸前の村や、震災や津波などで被災した土地の記憶を伝えゆくためにも、古文書調査は必須であり、そのためには本書は必読の書である。
(放送大学教授 五味 文彦)
[日本経済新聞朝刊2016年2月14日付]