つつましい英雄 マリオ・バルガス=リョサ著2つの謎と馴染みの登場人物

バルガス=リョサの小説は、シリアスで重厚なものと、それとは対照的にエンターテインメント性が前面に出たメロドラマに概(おおむ)ね分けられる。彼の新作である本書は後者に属するが、ことはそう単純ではない。

(田村さと子訳、河出書房新社・2700円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

作中二つの物語が交互に語られるのは彼が好んで用いる手法で、驚きはないものの、そこに旧作に登場した人物が次々と現れるのには目を見張る。しかも二つの物語は交わり、登場人物がないまぜにされさえする。別の長篇(ちょうへん)『フリアとシナリオライター』では、正気を失った脚本家が、登場人物をまぜこぜにして作品を破壊してしまうが、本書では作品が成り立っている。登場人物たちはあたかも役を得た俳優のように自然に振る舞っているのだ。

それは読者へのサービスであると同時に、彼が楽しんで書いていることの表れでもあるだろう。彼は神殺しを行い、作家として人物を自在に操っている。

舞台も一方はピウラ、もう一方はリマという、著者の作品に馴染(なじ)みの町だが、代表作『緑の家』の舞台である娼家(しょうか)がかつて建っていたピウラのマンガチェリア地区などは、中上健次が小説で描いた〈路地〉のように開発が進み、今や砂地が一部残っているにすぎない。時が経(た)ったのだ。

主軸となる物語は、そのピウラで苦労の末に運送会社を築きあげた老経営者フェリシトと、みかじめ料を要求する脅迫状を彼に送った姿なき犯人グループとの闘いというミステリーである。犯人捜しを行うのは小説への登場回数を誇るリトゥーマ軍曹らで、彼は故郷の警察に戻ってきていた。放火に誘拐と、あの手この手を使って犯人たちは脅しをかけるが、フェリシトは屈服しない。その父親から教え込まれた態度を貫いたため、彼は英雄に祭り上げられる。それにしても犯人は誰なのか。やがて事件の真相が見えてくる。

この物語と並行して、官能小説『継母礼讃(らいさん)』の主人公だったリゴベルト夫妻の息子フォンチートが、不気味な人物に付きまとわれるという話が語られる。しかし、彼の行く先々に現れるというこの人物は、他の人々には見えない。この人物は果たして実在するのだろうか。

こうして読者は二つの謎の行方を追ってページを繰ることになる。フェリシトの息子の片方が実の子ではないといった家族関係の問題や恋愛沙汰、年齢差婚などが事件を複雑にしているが、資産が脅迫状の謎を解く一つの鍵になる。だがフォンチートの謎は果たして本当に解けたのか。いつも厄介な少年だ。

(名古屋外国語大学教授 野谷 文昭)

[日本経済新聞朝刊2016年2月7日付]

つつましい英雄

著者 : マリオ バルガス=リョサ
出版 : 河出書房新社
価格 : 2,916円 (税込み)