Oe――60年代の青春 司修著文学と自分史たどる豊かな混沌

画家・小説家の司修はもちろん高名な装幀(そうてい)家でもあり、あまたの書物に美しいブック・デザインをまとわせてきた。中でも大江健三郎の著作の多くは司氏の装幀によるもので、大江作品が本としての堅固な物質的存在感を得るのに、司氏の洗練された卓抜な美意識が大きく貢献してきたのは周知の通りだ。

(白水社・2600円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

本書のタイトル『Oe(おおえ)』は、その「大江」のことであり、私小説とフィクションを溶融させた自作の中で、作者自身にしてかつ虚構の登場人物でもある倒錯的な二重存在を指すのに使われたアルファベット表記である。しかし、本書を大江論のつもりで読み出すと読者はたちまち面食らうこととなろう。

取り上げられている大江作品は『叫び声』(一九六三年)と『河馬に噛まれる』(一九八五年)のほぼ二冊のみ。前者は一九五八年の「小松川女生徒殺人事件」から、後者は一九七一年から七二年にかけての「連合赤軍」の集団リンチやあさま山荘攻防戦から、それぞれインスパイアされて書かれた小説だ。司氏の興味の焦点は、むしろこの現実の出来事自体にあり、社会とそれをおびやかす異端分子との間の軋(きし)みや葛藤が血腥(なまぐさ)い暴発へ至る過程を、当事者の証言を交えつつ克明に語ってゆく。

もちろん記述は、事件をフィクションへと昇華させた大江氏の文学的想像力と社会批判の展開の跡づけにも向かう。そこに、同時代人として事件に立ち会い、大江氏の創作の現場にも寄り添ってきた司氏自身の人生の軌跡もまた、点描的に織りこまれてゆく。「ほぼ絶望的にもらった金を飲酒で使い果たし、二三歳にしてようやく、ひとり暮らしになる母をなだめすかして家を出、赤羽駅近くの線路際にあったダニ襲撃にあうアパートで、体中掻(か)き傷だらけになって……」云々(うんぬん)。副題に「60年代の青春」という副題が添えられているゆえんである。

そればかりではない。司氏の筆は過去と現在を自在に行き来し、原子力の「平和利用」が鼓吹された六〇年代の状況に、3.11の災禍の淵源を透視してもいる。「迷いに迷いながら歩いたわたしの迷路の地図」(「あとがき」)と著者自身が言う通り、何もかもが一緒くたに、混ぜこぜに語られているような、豊かな混沌の書と言うべきか。見取り図のない日本戦後史の熱っぽいカオスの中に引きずりこまれ、今にも溺れそうな息苦しさに耐えながら、二一世紀の日本を再建するためのヒントはこの「迷路」の中にことごとく胚胎されているのではないか、とわたしはふと思った。

(作家・詩人 松浦 寿輝)

[日本経済新聞朝刊2016年2月7日付]

Oe(おおえ):60年代の青春

著者 : 司 修
出版 : 白水社
価格 : 2,808円 (税込み)

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