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つかこうへい正伝 長谷川康夫著 ブームの渦中明かす「青春記」

2016/1/10付 日本経済新聞 朝刊

1970年代半ばから80年代初頭にかけて「つかブーム」とか「つか現象」と呼ばれた熱狂的な流行現象があった。60年代後半の唐十郎の「状況劇場」に代表されるアングラ・小劇場の運動が沈静化に向かおうとする時に突然起こった劇団つかこうへい事務所の、過去に例を見ない超絶的な人気沸騰ぶりを示す言葉だ。

(新潮社・3000円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

本書は、そのブームの渦中で、劇団が東京・青山のVAN99ホール(74~75年)から新宿の紀伊國屋ホール(76~82年)に拠点を移した時代をつかこうへいと、時には役者として、時には照明スタッフとして、時にはつかが執筆する原稿の下書きライターとして伴走し、彼の身近に接した著者によって書かれたつかのその時代の評伝である。それだけに最も信頼できる一次資料になっている。

なかでも興味深い点は3つある。1つは、すでに伝説化しているつかの「口立て」による創作。戯曲を書かずに、稽古の過程で思いついた台詞(せりふ)を役者にしゃべらせて台本を完成させていく方法を、どうやってつかは会得したのか。使用される音楽の類(たぐい)まれなセンスのよさを含めて著者が感嘆しているところだ。

2つ目はつかが慶應大の学生だった当時、早稲田大の学内劇団「暫」に参入し、以後、知念正文や平田満、故三浦洋一らと活動を開始するのだが(著者もまた入学後「暫」に加入した一人だ)、以後の折々に根岸季衣(当時はとし江)、風間杜夫、加藤健一、石丸謙二郎、故萩原流行らが加わる。それぞれ当時は無名だった役者がその後、ところを得て、メジャーの俳優になる。本書において個々の点が線になるのだ。

3つ目はつかこうへいの出自である。一般にはエッセイ『娘に語る祖国』(90年)で初めて、在日韓国人2世であることを公表したように受け取られているが、つかは、外部の人間に会う時は「在日」であることを断(こと)わることもあったという。つまり、彼は極めて戦略的に「在日」を使った。そんな人間が巷間(こうかん)流布されている、ペンネームを「いつかこうへい」から取ったなどということは考えられない、と著者は述べる。その主張には説得力がある。

相手の人格までを否定する、稽古場内外での役者、スタッフへの容赦のない罵倒、売れてからの一転しての優しさや心遣いまで、「人間つか」を忌憚(きたん)なく描き、この稀代(きだい)の作・演出家にオマージュを捧(ささ)げた本書は、同時につかと共に過ごした、著者の「青春記」でもある。

(演劇評論家 七字 英輔)

[日本経済新聞朝刊2016年1月10日付]

つかこうへい正伝 1968-1982

著者 : 長谷川 康夫
出版 : 新潮社
価格 : 3,240円 (税込み)

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